第七話 父は妻と子どもを守ったか?

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anohi.hatenablog.com

第七話 

『感情』が身体に与える影響力に、改めて驚かされる。

からだのだるさも重さもない。

食事も普通にとれる。食欲が出て、喉や胃のあたりの違和感も消化不良もなくなった。

もちろん検査で身体に異常がないことがわかったからだし、何度となくインナーチャイルド・ワーク(ワーク)を繰り返して怒りや恐怖を出してきたことも大きい。

 

しかし、

「まだ残ってるよ。もっとワーク必要」と息子。

HSC(Highly Sensitive Ⅽhild)である息子は、直感力に優れ、人の心を感じ取る力を持っている。子どもには不思議な力がある。

ボク「あとどれくらいかな?」

息子「まだ半分」

妻「え、まだ半分? あんなにやったのにね」

ボク「いや、わかるような気、する」

 

からだの中から恐怖を出したあと、恐怖の下にあった怒りが、早く出してくれと言っているような気がした。

そういうわけで、引き続きワークを行い、親に限らず身内の面々を相手に、子どもの頃のボク(インナーチャイルド)や今のボクが話をし、あの頃出すことができなかった怒りをぶつけた。

 

だけど、どうもしっくりこない。

怒り・悲しみ・恐怖、この3つの感情が、それぞれどのくらい残っているか、そういう聞き方で息子に聞いた。

「怒りは100のうちあと20、悲しみは100のうちあと30、恐怖は100のうちあと20」という答え。

悲しみがカギなのか・・・?

考えているうちに、斎藤家の象徴である「父親との対話が必要だ」と思った。今の自分ではなく、あの頃のボクが、当時父に言えなかったことを伝え直すのだ。

 

以下は、ワークでの「父とあの頃のボクとの対話」で、父役は妻ですが、父と息子(不登校時の中3のボク)の対話として聞いていただければと思います。

 

父「裕、学校はまだ行けんとか?」

(今までのワークでは、リクライニング・シートかベッドに横になったまま目を合わさずの対話)

ボク(父に正面向いて座る)「お父さん、ボクは医者にならんといかんとね?

父「うちは鍋島藩御殿医までしとって代々医者が続いとるけんね。おいたち(俺たち)の代で途絶えさせるわけにはいかんとたい。だから兄かお前か、どっちかが継がんといかん」

ボク「子どもは後を継がせるためにつくったとね?

父「それもあるたい」

ボク「ボクは医者になりたくなかとよ

父「そいならならんちゃよか(それならならなくていい)」

ボク「でも医者以外、価値がなかとやろ?

父「おい(俺)はよか。おいはよかけど、親戚たちは医者になるとやろうと思っとるやろうけんね(なるのだろうと思っているだろうからね)」

ボク「ボクが絵描きになりたいって言ったらどがん(どう)ね。前にボクが絵描きになりたいようなことを言った時に、『絵描きで成功するのは大変ぞ。絵描きで食っていくとは難しかぞ』ってお父さんは言ってたけど、今も変わらんとね

父「どげな(どんな)仕事も簡単にはいかん。苦労しとる人間もいっぱい知っとる。将来苦労せんごと(しないように)今のうちから学校やら馴染まんといかんたい」

ボク「お父さん、人はそれぞれ気質も違えば個性も違う。この子には何が合ってるのか、じっくり見て、合った道を選ばせるとが親じゃなかとね? お父さんはどんな子どもやったとね? 長男で後継ぎで医者って決められた人生、嫌じゃなかったとね

父「考えたことなか。そげな(そのような)時代たい」

ボク「医者になってもいい、ならなくてもいいって自由が許されてたらどがんやった(どうだった)と?

父「今更わからん。おいにはそれしかなかとたい」 

ボク「ボクには医者は合わん。お父さんたちが見つけてきた中学校も合わん。ボクには何が合ってるか、気質や個性はどうなのか、それを無視して勝手に決めたり、自分の価値観を押しつけたり、自分の枠に当てはめさせようとするのは心理的な虐待になるとばい。兄キは今の中学校に行けて、ボクは何で行けんのやろうって苦しかとよ。人には合う合わんがあるとよ。期待に応えたいと思ってももうムリなんよ。からだが動かんとよ。自分の子どもが苦しんでいる姿を見て、『こんなに苦しめているんだ。この子には医者の道は合わないようだから医者以外の選択肢を広めてあげよう』というふうにはならんとね

父「・・・・お前が将来苦労せんごと(しないように)」

ボク「医者はそんなに偉いとね。医者やってたら立派とね。偉い、立派の中身は何ね? それは斎藤家の価値観で偉いとか立派とか決めてるんじゃなかとね。人の価値を、自分の都合で考える物差しで決めてよかとね

父「代々一国一城の主になって人助けばしてきたとばい」

ボク「そうやって“医者であることが立派、この上ない職業”みたいな、誰かが口にして言うわけでもなく、言葉にしてないけど、そう仕向けるような、メッセージ性のある、誘導的で操作的な空気・雰囲気が、うち斎藤家にはいつも漂っとるとよ

父「そらー、お前の考え過ぎたい」

ボク「医者になったら幸せになれるとね。逆に医者にならなかったら幸せになるのが難しくなるとね

父「そぎゃんと(そんなの)は関係なか!」

ボク「持って生まれた子どもの個性や感性を押しつぶすような、自由を奪うようなコントロールをして、子どもの本当の欲求や自然に湧いた感情を封印させてしまうような行為を、心理的虐待というとよ

父「・・・・」

ボク「お父さんにとって幸せとは何ね?

父「病気もせんで健康で仕事できることやろたい」

ボク「家族はどうね、お父さんがつくった家族よりも家業が優先されて、それで家族の幸せが犠牲になっとったらどうね?  今の生活でお父さんが幸せだと思うとっても、子どもはお父さんと遊んでもらったことがない、触れ合いのない家族に本当の幸せがあるとは思えんとよ。子どもや奥さんがそこに幸せを感じ取ってなかったら、そい(それ)はお父さんのエゴじゃなかとね

父「裕には感謝の気持ちはなかとかい」

ボク「じゃ、何でボクをつくったとね?

父「何でも何もなか!」

ボク「医者の跡取りのために生まれさせられるんだったら、この家に生まれてこなければよかったと思っとる。もっと自由が許されるところだったらと思う

父「・・・・」

ボク「自分の意志で選べんからね。引かれたレールに乗っかった人生に幸せがあるとは思えん

父「・・・・」

ボク「お父さんは何かが嫌で反発したことはなかったとね?

父「おいはそぎゃん(そんな)ことしたことなかばい」

ボク「お父さんを見てたら、怒ることをあきらめてしまっているような気がするとよ

父「・・・・」

ボク「怒ったもんが負け、愚かもんってバカにしとるところがうちにはある

父「怒ったっちゃよかごとならん(怒ってもよくはならない、何の解決にもならないという意味)」

ボク「怒るという感情は、その人を守るために与えられた大切な感情なんだけど、斎藤家みたいに、上下の関係が強く、『目上の人に逆らってはいけない』『感情的になる人は大人気ない、みっともない』『自己主張はワガママ』という暗黙のルールがあると、閉じ込めるしかなくなるよね。第一お父さんは、お父さんのお姉さんたちの圧力からお母さんを守れてないやろ。お母さんを守るために言わんといかん場面はいくつもあったんやなかとね

父「・・・・」

ボク「以前『ノイローゼ(神経症)』という本の中で、『ノイローゼの人は、子どもの頃からほとんど喧嘩をしたことのない人たちばかりで、長い間怒りや敵意を閉じ込めてきた人が多い』ということが書いてあったんだけど、斎藤家の人たちは家柄や地位、特に気品の高さやお上品さを“売り”にしているようなところがあって、自然な自分を出さずに取り繕ったり、その理想の枠に当てはめさせようとしてきたことに無理がきているんじゃないか? 人間らしさを失わせてきたんじゃないかと思う。お父さんお母さんとボクの、不眠症や神経質なところも、そういうところに原因があるんじゃなかとね

父「・・・・」

ボク「親子や兄弟に年上年下関係なく、上下など関係なく、怒るところでちゃんと怒り、喧嘩するところでちゃんと喧嘩するということが必要だった、そういう関係が本来自然なのであって健康的なのだということ

父「・・・・」

ボク「斎藤家の感情的にならない、喧嘩しない、温厚な人を美徳としているところ。そしてお父さんの、対人関係で腰が引けているところ。その、斎藤家やお父さんが与える弱い立場の人間への影響力がそこまですごいということが言いたかとよ。そのくらい子どもはいつの間にか影響を受けてしまっているということ

父「全部が全部そぎゃんことのせいじゃなかろうもん(そんなことのせいではないだろう)」

ボク「お父さんは、子どもをつくった親としての責任ってどう考えとると?

父「健康に育ててから将来困らんごと(困らないように)自立させることたい

ボク「それは建前じゃなかとね。斎藤家の長男としての責任を背負わされて、それを果たそうとすることばかり考えて、子どもをつくった親としての責任は取ろうとしとらん。そして、斎藤家の責任をまた子どもたちに背負わせようとしとる。結局は、自分か斎藤家のことしか考えとらんっちゃなかと(考えてないんじゃないの)!

父「・・・・」

ボク「親が子どもをつくったら、子どもを幸せにする責任、子どもを“守る”責任があるんじゃないかと思うよ。 奥さんと結婚したんだったら、奥さんを幸せにする責任、奥さんを守る責任があるんじゃなかと? それは奥さんが夫から守られていると感じること、大切にしてもらっていると実感できることであって・・・。それが結婚した責任じゃなかとね?

父「・・・・」

ボク「子どもが苦しんでいるのだったら、なんで苦しんでるのか、父親と母親が一緒になって、子どもが抱えている問題を命がけで解決しようと努力していく責任、子どもを守っていく責任があるんじゃなかと?」 

 父「・・・・」

ボク「今のままだと斎藤家に生まれてこなければよかったと思ってしまう。ボクを生んでとお願いしたわけじゃないって思ってしまう。今のように人生の選択を極端に限定されるのではなく、自由が許され、自分の行先を自分で決める人生を歩みたい

父「・・・・うん」

ボク「この家に生まれてきて本当によかったって思いたかとよ

 

ワークの設定は中3だ。しかし無力で何も言えない当時のボクのままではなく、知識や言語力を備えた今のボクが、代わりに自己主張することができて胸のつかえが取れた。

長年言えずに詰まらせてきた思いをすべて言葉にして伝えられた。ワークはイメージだが、リアルだった。

あの頃のボクを守ってあげたい一心だった。

 

ボクは子どもをつくった親としての人生を歩み始めて以降、我が子の子育てを通して、ボクの生い立ちの中で当たり前のように存在していた、「子ども側の立場や気持ちに寄り添うことよりも、いつも親側に立った立場で物事が判断されたり、親や家(大人)の都合(事情)が優先されていく」という考え方に、疑問を持ち始めていたのだった。 

長男で後継ぎの父親が、その、

与えられた人生に疑問を持たず、妻や子どもにもまた同じ『限定した選択肢のない生き方への圧力』で束縛していることに気づかないでいるところ

父親が怒らない、つまり“自己主張しない”ことが家族に犠牲と苦しみをもたらしていること

このふたつが大きなつかえだったようだ。

 

息子「怒りは100のうち5、悲しみは100のうち10、恐怖は100のうち5」

もう少しだ。

 

第八話に続く