『結婚』と『相互依存』

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結婚して良かった

そう思える相手と夫婦になって、よりよい関係を築いていけたら幸いですよね。

 

要らぬ思い込みだった「家長の責任」

ボクは、「自分が家族を支えなきゃ」と全責任を負って、「自分はこんなに大変なんだ」と長年思ってきていました。そして、「自分は精一杯、家長の務めを果たしている」とも思ってきていました。

子どもが生まれてそれはさらに強まったと思います。

しかし、妻が精神的に成熟し、自立した生き方に変わっていったことで、夫婦関係やそれぞれの役割にも大きな変化が生まれました。

自分がやらなければ

頼ってはいけない

そう思っていたことは、知らぬ間に刷り込まれた思い込みであって、実際は妻や子どもに支えられていることで仕事ができてきた、ということに気づいたのです。

 

自己実現を妨げる囚われを手放しなさい

それに気づいたのは数年前でしたが、『医者の衣を脱ぐ』という決意によって、実はまだまだ「父権」と「過剰な責任感」、を手放せていなかったことに気づかされました。

 『自分から医者を取ったら何も残らない』という感覚を味わったことが最大のきっかけです。

自分が収入を得ることの責任から手を放してしまえば生活できなくなるのではないか」無意識にそれを恐れていたわけですが、それは逆で、任せるべきところを妻に任せ、あえて囚われから手を放すことで、新しい道を切り開いていける・・・自己実現を妨げる囚われを手放すことが求められていたのです。

 

男だから、女だからはもったいない

「(男だから)自分が責任を負っているんだ」

という意識が与えるマイナスの影響は、想像以上に大きく、もったいない。

  • 勝手に上下ができてしまう。
  • 気づかないところで優越になっている。
  • 妻や子どもの存在や行いの価値がどれほど尊いものか、気づきにくい。

これらに気づいたとき、驚いた、それが正直な感想です。

 

妻は妻で、「女性・妻・母親という役割」が無意識に沁みついていて、そのすべてを自分でやろうとしてきました。

食器を洗ってもらえたら助かるんだけど

そう思っても言えなかったそうです。

 

「お願い」「ありがとう」

今の若い世代の方たちや、意識の高い男性は、協力しあう子育てに積極的な様子がうかがえ、真似すべきところがたくさんあるのではないかと思います。

男はこうあるべき、女は・・・という固定観念は、夫婦の溝を深くするばかり。

気質、向き不向き、能力、才能、それらは個々で違いますし、とても多様なもの。

不向きなこと、できないこと、合う合わない、

そういったことと向き合って、合うものを選んでいこうとする時、夫だとか妻だとか、男だとか女だとか、そういうものは関係なくなる。

どちらが食器を洗うか、どちらが洗濯物を干すか、ゴミを集めるか、出すか、食事をつくるか、子どもと遊ぶか、買い物に行くか、どちらがどういう方法で稼ぐか・・・

その時々でできる方がやることだし、それがわかっていれば「お願い」「ありがとう」に何の遠慮もいらない。

男がこういうことを言うと、「えらい」と評される傾向にあると思うのですが、世の中ではそれほど夫婦が対等、平等でない証拠。

これは、お互いにフルタイムで働いている夫婦でもそうです。

夫がいても仕事で忙しく事実上、ひとり親家庭みたいと言うママたちもたくさんいる、ママたちに家事・育児も含めた総合的な労働の比重がのしかかっている、そういう現実も残っているのです。

 

 

共依存』か『相互依存』か

精神的に寄りかかって自分で立とうとしないのは『共依存

自分で立てないと、相手に支えてもらわなければならないので、自分の役割にしがみつきますよね。

「わたし(オレ)はあなた(キミ)の望むわたし(オレ)のままでいるから、あなた(キミ)もいつまでもわたし(オレ)の望むままのあなた(キミ)でいてね」そして「いつまでもわたし(オレ)を必要としてね」

と束縛してしまう。

どちらかが支えをやめると壊れるテントのような関係なので、常に緊張状態で身動きがとれない

 

なので、夫婦は、お互いが自分の足で立ち(自立)、共有するものを平等に対等に、お互いの違いや強み・弱みの部分を受け入れ、協力し合って支える 『相互依存』のかたち(鳥居のような)が求められます。

 

それを実現する過程に「成長」があり、人を「成熟」「自立」させます。

夫婦でお互いを高め合える間柄(相互依存)になる、それが『結婚』するひとつの大きな目的なのではないかと思います。

 

『結婚して良かった』と思える夫婦関係を育てよう

ひとりでできないこと、乗り越えられないことをひとりで乗り越えなさい、というのではありません。

むしろ、できないことをできないと認め、それを乗り越えるために相手に手助けを求めるのであれば、依存とは言いません。そこに乗り越えて、立とうとする意志があるからです。

二人で協力し合って成し遂げられ、結果、それが互いを成長・成熟・自立させるのであれば、きっと『この人と結婚して良かった』心からそう思える夫婦関係が育てられるのではないか、そう思います。