「そういうとこ、お母さんと同じだね」
傷ついたり、固まったり、歪んだり、濁ったりした心が、純粋で生き生きしたものに変わっていく過程で行われる『膿(うみ)出し』の最中、夫婦同士でその相手に投げかけられることの多い“爆弾ワード”です。
この言葉が放たれると、内部で、激しく抵抗したい気持ちが湧き起ります。
負の感情を生み出す言動や態度、子育て、ネガティブな思考や反応のパターンなどが『身内の誰か(の嫌悪している部分)と同じ』である、
それを指摘されると、とても痛くて嫌な気持ちになる。
そういった経験はありませんか?
ボクはありました。
無意識のうちに妻より優位に立とうとしたり、妻や子どもより自分の都合を優先してしまったり。
ボクたちはみな、無力で自分ひとりでは生きられなかった子ども時代を経て大人になりました。
その、幼く無力な時代は、親からの愛情と安心を強く求めるがゆえに、「親はきっと愛情と安心を与えてくれる存在」と親を理想化し、きっとそうにちがいないと自分に思い込ませて生活するところがあります。
この、「親子」「上下」、「支配と依存」の関係の中で、親(身内)のプラスの部分もマイナスの部分も、必然的に子どもに刷り込まれていくものです。
時代も影響していますが、父母世代が育った時代は今と比べて、カウンセリングだとか、心理面で自分の心と向き合うといったことは、あまりありませんでした。
そのため、多くの子どもたちは、「親からの自立」や「適応」、「社会性」を過剰に求められて厳しく育てられ、肝心な愛情や安心はそっちのけにされて、寂しさ、不安、恐怖を抱えて成長しなければならなかったのですね。
そうしなければ、お母さん自身も「ダメな母親」とレッテルを貼られてしまう、という現実も後押しし、子どもたちは、それに見合うスキル(サバイバル・スキル)を必死で身につけてきたのです。
現在、自分を嫌悪する理由のひとつとなっている、負の感情を生み出す言動や態度、子育て、ネガティブな思考や反応のパターンなどが『身内の誰か(の嫌悪する部分)と同じ』であることは、気づかないうちに刷り込まれたことのひとつであり、このようにして身につけたスキルのひとつなのです。
問題は、今の自分の苦しみや生きづらさの原因となった、親子関係を認識していく際に見る必要のある『親自身の問題』や『親への嫌悪』が、『自分も同じ』『だから言えない(直視できない)』とブレーキがかかってしまうことです。
父母世代は、心を見つめて、親子関係を見直すために、自分が変わろう、などという発想に至ることは、ほとんどありません。その理由のひとつとして、上下の関係の中で自分の欲求や感情を抑圧してきた父母は、子どもより常に上に位置して(優位に立って)おかなければ心が安定しないことが挙げられます。子どもと肩を並べられそうになると自分の立ち位置や存在自体が脅かされるのです。
しかし、娘(息子)世代は、自分次第でこれからいくらでも変化していくことができます。
心が純粋で、生き生きした自分を、これからの長い人生の中で取り戻していくことができるはずです。
ですから、今は、自分の欠点や、自分を嫌悪することで、真実を見ることへの『ブレーキ』をかけるのをやめて、
幼い自分にとって、親との関係性や親の言動、態度、価値観、信念、信条がどう影響したのか、
つまり、『親の毒』『害』『悪影響』についてと、そういう親に対する嫌悪を、はっきりと認めることが大切です。
それが、「自己嫌悪は後回しにして、まずはやるべきこと」なのです。