「ママはいつもイライラしているね、怖いね」
いきなりですが、仕事から帰ってきた夫が、子どもにこんなことを言ったら、ママはどう思うでしょう。
あえて、思いを極端に代弁してみます。
「パパはいいわよね。子どもとの関わりでイライラしそうなことは回避できるもの。
嫌なことせがまれたりしたら『仕事で疲れてる』で回避。
それって、子どものことで都合の悪い部分は私に押しつけてるってことなのよ。
仕事には収入があるから価値が認められるのよね。
私はいくら家事や子育てしてもお金にはならない。
価値どころか、当たり前だとしか思われてない。
私だってイライラしたくない。イライラしたくないのにイライラしてしまう自分や状況から逃れられないのよ。
この苦しみわからないでしょ。
罪悪感、自己嫌悪、自己否定感、劣等感・・・、ごまかしごまかしやってるけど、すごくみじめになる時がある。
どんなに努力しても当たり前、できなければ『できないママ』。
男の人は回避できて、ちょっと子どもをあやして、時々家事やって、「やってあげたよ、助かったでしょ、良いパパ、良い夫だろ?」
どんだけ価値や承認奪っていくの?
わかってほしいよ・・・」
この不毛感は理解してもらえていない・・・そう感じているママがどれだけいらっしゃるでしょう。
伝え方、ノウハウ、いろいろ工夫したとしても、潜在意識下に植えつけられた、
「男は仕事をしてお金を入れるのが当たり前で権利も立場も強い」
という考えは、多くの夫婦間に大きな壁となって立ちはだかっています。
ママが仕事して収入がある場合でも、「男が優遇されている」が根底にあることを実感しているママも多いのではないでしょうか。
【目次】
- 仕事には就かず、家で子育てをする専業ママは楽で良い?
- ママの価値
- 我が子を通して起こる、小さい頃の追体験
- ママそのものの自分らしい生き方を取り戻していくことの大切さ
- 仕事への回避
- つい言ってしまう、“親と同じような” 言葉
- 子どもが親に与えてくれている 、成熟・自立のきっかけ
- 子どもを尊重すればするほど、子育てはうまくいかない。だから手放すこととは?
- さいごに
仕事には就かず、家で子育てをする専業ママは楽で良い?
仕事には就かず、収入のないママは、そういう点で非常に立場が弱いですよね。
専業ママは楽? 暇? 本当にそうでしょうか。
ボクたち人間の多くが、どれほど「承認」、「価値」が認められることを欲していることか。
専業ママは、その「承認」や「価値」が認められにくいどころか、子どもの存在によってあぶり出される「自分の嫌な部分」と否応なしに向き合わせられます。
存在意義を見失い、毎日を憂鬱に過ごしているママたちもたくさんいるのです。
ボクは、専業ママの「価値」があまりにも疎かにされていることについて、そして、実は専業ママには、何よりも尊い価値があることを客観的な立場から発信したいと思っています。
ママの価値
お母さんの子宮の中で育ち、お母さんから産まれ、お世話をしてもらう赤ちゃんは、お母さんとは切っても切れない存在、そう思いませんか?
赤ちゃんにとって、どうしても必要な存在は、お母さん。
それは、人が自己に目覚め、成熟し、自立するまで、常にその人の根底や潜在意識の中で欲する存在であり続けます。
お母さんとは、それほど重要な存在なのです。
でも、子育て中のママとしては、「正直重たい」そう思うことだってあるのではないでしょうか。
「ママと一緒にいたい。ママがイライラしても、怒っても、怖くても、今はママと一緒じゃないと耐えられない」
このような、子どもの『言葉にならない心の叫び』、プレッシャーですよね。
つまり、専業ママは、そのプレッシャーに追い立てられながらも、子どもの「ママと一緒じゃないと耐えられない」という思いを満たしてあげていることになるのです。
子どもは夫婦ふたりでつくった大切な生命。
その、子どもの生命を育むという責任を担い、子どもと自分と向き合いながら過ごす時間の価値は、外で働いて収入を得てくることとは違う、尊い価値があるのです。
もちろん、ママとしては、子どもとの関わりが濃厚で、負担も大きい分、「嫌な自分」があぶり出されて、自分の存在価値など中々実感できないかもしれませんが、それはそれとして、まずは子どもさんの重要な欲求のひとつを満たしているという事実は尊いものであると認識してほしい、そう思います。
ちなみに、「嫌な自分」があぶり出されるのにはこんなきっかけがあります。
・子育ては思い通りにいかない
・子どもの姿に、ママ自身の幼い頃の自分(インナーチャイルド)が重なり、ママが置き去りにしてきた子ども時代の心の痛みを感じている
我が子を通して起こる、小さい頃の追体験
つまり、我が子を通して、小さい頃の自分の体験や感情の再現が起こっている、自分が親からされてきたことを追体験しているのです。
例えば、子どもが甘えてきてイライラさせられる時、ママの子ども時代に刷り込まれた
「わがままを言ってはいけません。わがままを言う子はダメな子」
という禁止命令のスイッチが無意識に入り、人格がママの親に入れ換わったような口調で我が子を叱ってしまうというもの。
親とは圧倒的に母親であることが多いのですが、このように無意識の中で、
「母親の立場で考える」「母親と同じ考えにする」など、
自分の中に母親と同質のものが存在(母親化)していることに直面した時に、本当の自分が母親に同一化していることの嫌悪や拒絶を感じるのです。
問題はその時に、見たくないものとして否認していくか、
罪悪感を抱き「今のままではダメだ」と思ってプラスにならないものをちゃんと見極めて排除しながら負の連鎖を断ち切っていくか、なのです。
ママそのものの自分らしい生き方を取り戻していくことの大切さ
自分に受け継がれている母親の有害性を正確に選別し、そのためにもたらされた悪影響を、「自分がいけなかったのではなかった」と知る過程をしっかりと踏みながら、母親から精神的に分離(自立)していくということが大切なのです。
つまりこのような現象こそ、我が子を育てるという営みの中で、親との関係で身についた、悪影響を与えている
『“子どものため”を名目として、“しつけ”や“指導”という言葉で正当化されやすいコントロール(*心理的虐待)』について見直していくこと、
それによってママ自身の心(感情)やママそのものの自分らしい生き方を取り戻していくことの大切さを常日頃から教えられている、ということを意味していると考えるのです。
(*心理的虐待については、「しつけ」「教育」の後遺症 :さいとうカウンセリングルームブログをご参照下さい)
仕事への回避
ちなみにボクの体験の中で実感したことですが、
我が子を通して直面させられる自分の過去と向き合うのが嫌だから、仕事へ意識を向けて回避させていたことがあります。
例えば、ある時は子どもが自分の欲求やニーズを理解してもらえず泣きやすかったり、ある時はこちらの言うことを聞かなかったり。
それは、実は子ども時代の自分が親に訴えても受け止めてもらえなかったことの再現が目の前で起こっているようなもの。
そのような子どもに対して、ボクもまた親と同じような言葉や表情・態度で子どもをコントロールしてしまうかもしれない。そうなることの恐れから、子どもとの関わりを回避させていた、
と思うようなことがあったのです。
このような自分への気づきにより、多くのパパ(日本の多くの男性)に仕事への回避が起こっていることがわかると同時に、回避できやすい立場であるパパの場合、子どもの頃の本当の自分(インナーチャイルド)と出会って、置き去りにしてきた本当の欲求や感情を取り戻していくことがいかに困難かということにも気づくきっかけとなった、そういう体験でした。
つい言ってしまう、“親と同じような” 言葉
では、ついつい言ってしまう、“親と同じようなこと”にはどういう言葉があるでしょう?
『片づけなさい』
『早くしなさい』
『全部食べなさい』
『きちんと挨拶をしなさい』
『自分のことは自分でやりなさい』
『甘えない』 『我慢しなさい』
『女の子・男の子らしくしなさい』
『お友だちや下の子に貸して(譲って)あげなさい』
『子どもには関係ないこと。大人の話に首をつっこまないの』 などなど、
いかがですか?
ママは大変だから言ってしまう。
母も大変だったのだなぁという、お母さんの立場や気持ちがわかる。
しかし、子どもには子どもの気持ちやペース、意志、欲求、そして決定する権利があるのです。
果たしてそれは、親が子どもだった自分に言って良かったものかどうか、その時の表情や態度は子どもだった自分の心に悪影響を与えるものではなかったか、親の都合が優先されるような、親の価値観の枠に当てはめさせるような、または、親にとっての育てやすい子に仕向けるような心理的なコントロールはなかったか、そこをしっかりと吟味することが大切なのです。
子どもが親に与えてくれている 、成熟・自立のきっかけ
繰り返しになりますが、
・子育ては思い通りにいかない
・子どもの姿に、ママ自身の幼い頃の自分(インナーチャイルド)が重なり、ママが置き去りにしてきた子ども時代の心の痛みを感じている
実は、このふたつは、ママのインナーチャイルドの傷が回復し、ママらしい本当のママに目覚めさせ、成熟・自立させる(特に母親から精神的に分離させる)ための重要な気づきを与えてくれています。
本当の自分に目覚め、成熟・自立したひとりの人間になるためには、「自分の嫌な部分」と直面する過程を通るのです。
「イライラしてしまう自分と向き合い、原因を知って、私は変わる」
子どもたちはママにそれを求めているのではないでしょうか。
子どもたちはママ(パパ)がそれに気づいてくれる可能性がある限り、ママやパパが困るようないろんな問題や症状を呈して、きっかけを与え続けるように思います。
子どもを尊重すればするほど、子育てはうまくいかない。だから手放すこととは?
そして、そのような子どもの問題や症状に含まれる『言葉にならない心の声』と誠実に向き合えば向き合うほど、子育ては思い通りにいかないことを実感すると思います。
つまり、子どもの欲求や気持ちを優先しようとすることで、というか、すればするほど、ママは他のことができなくなるわけです。
だからコントロールしなくちゃ大変!となります。
圧力をかけることは良くないと考え、おだてたり、褒め言葉が用いられたりする誘導操作的なコントロールになっていくこともあるのです。
コントロールしないとなると、子育て以外のことをかなり手放さなければならなくなってきます。
これが先ほどの、ママらしい本当のママに目覚め、成熟・自立することに深く関係するのです。
手放されるものとは?
深層心理の深いものもありますが、身近なことでは、例えば、
「部屋が散らかって掃除も行き届いていないが子どもが小さいうちは仕方ない」
「買い物、料理、家事、思うようにできない時はしない(手抜きする)」
「今は人づき合いを避ける(自分がつくった家族を優先するという意味で)」
「両家の身内との関わりで、イライラの原因になることを負わない」
などなど、できなくていいこと、しなくていいことを書き出しておいて、夫婦で共有し、それが許される環境を整えておく。
すると少し楽な気持ちになれるし、自分と子どもの存在を大事にしてあげている、という実感が、自信や自己肯定感を強めてくれるはずです。
さいごに
「子どもを産み育ててくれた奥さんに感謝」
お父さんが引退後にそう言ってくれるのもいいかもしれませんが、せっかくだったら子育て真っ最中の今、夫婦の心が、尊敬や感謝で満たされ、通じ合えると、
「人生ずいぶん得をする 」
そういうように思えます。
長文になってしまいました。
さいごまでお読みくださりありがとうございました。