【一休み雑記】昨日見た夢が教えてくれた、子どもを救える存在になりたいという思い

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こんばんは。

夏休みに入って最初の日曜日でしたね。

沖縄はここ1か月、ほぼ毎日天気に恵まれ、今日も快晴でした。

 

さて、休日は【一休み雑記】にしています。

軽い気持ちで書き始めた【一休み雑記】のつもりでしたが、書いているうちに、自分にとって、とても重要な内容になっていき、発信するのが夜になってしまいました。

というわけで、“一休み”とはいかなかった記事ですが、どうぞお付き合いください。

 

今日は、昨日夜中に見た夢のことから思いをめぐらして、文章を綴ってみました。

 

昨日見た夢

飛行機に乗って移動するボク。

場面は変わり、中学校の同窓会に参加している。

(現実では人が集まる場は苦手で同窓会など一度も参加したことはない。

ましてや中学校は、3年生の頃不登校で登校していないので、同窓会などあり得ない)

同窓会で、「何でもいいから」ということで、なぜかボクは、何かを披露することになっていて、あらかじめ話の内容を考え準備をしている設定で壇上に立っていた。

しかし、皆の前で緊張している自分がいて、考えていたスピーチの内容はどっかへ飛んでいってしまった。

それでもどこか冷静な自分がいて、ボクは昔から好きな、Queenの「Somebody to Love」を歌い始め、わからない英語の歌詞のところもあったが勢いで歌い切った(笑)。

そして、その後少し間を置いて以下のようなスピーチを始めた。

 

ボクは、中学時代すでに対人恐怖症でした。

神経症』という病気を患っていたのです。そうわかったのは大学生の時でした。

神経症』とはわかりやすく言えば、不安を主とした様々な症状のために、生活していくうえで生きづらさなどの苦しみを伴うものです。対人恐怖症は社会恐怖社会不安障害という呼ばれ方もしますが、パニック障害強迫性障害なども、この『神経症』に当てはまります。

この病気は傍から見て、本人の抱える苦しみがあまり理解されませんし、専門家の人の中には『神経症』のことを「いかにも人間らしい病気だ」といって病気と扱わない人もいるくらいです。

実際に「この病気と闘わずに、うまく付き合っていきなさい」と精神科医から言われたこともあります。

その時はとにかく受け入れていこうと思っていましたが、今考えるとそれはまるで他人事として言われていたのだと思います。

治療者が、自身に『神経症』の苦しみの体験や、その苦しみをどのように克服したかという実績がなければ、患者さんへの伝え方のノウハウだけが伝授されることになるのも仕方がないことなのかもしれません。

そのノウハウなどの内容について触れた時は何かホッとするような、自己啓発的で気持ち良くなるような気はするのですが、その本質は言い聞かせやコントロールと同じようなものにすぎないのです。

この『神経症』は、本人が一番苦しみを自覚しているのだから、病気と捉えて差し支えないと言えます。

医学生になったボクは『神経症』という病気の複雑さや克服の困難さについての知識を少なからず持っていました。

その中でボクがまず最初にやったことは、精神科医になってもっと詳しくこの病気のことを知ることでした。

それから、一般的な精神療法や薬物療法、そして『神経症』の専門的な治療法である森田療法精神分析療法などあらゆる治療を試みてきましたが、いずれもボクにとって、しっくりする結果には至りませんでした。

 

そして50歳を過ぎた時、『複雑性PTSD』という言葉を深く理解する機会に出会ったのです。

この『複雑性PTSD』は、精神科の医療の中で扱われることはほとんどありません。

複雑性PTSD』というのは、簡単に言えば、虐待やいじめなどによって生じた『トラウマの後遺症』のことです。

ボクに例えると、自分が抱える対人恐怖症などの苦しみは、親や身内からの『目に見えにくい虐待による後遺症』だ、いうものです。

 

衝撃が走りました。

今までのモヤモヤが晴れて、筋が通ったのです。

なぜならボクの苦しみは、それまでずっと「自分の性格やものの考え方のせいだ」と思い込んでいたからです。つまりボクの対人恐怖症は、そのほとんどが自分の性格やものの考え方によって作り上げられた病気だと、そう思っていたからです。

筋が通ったのは、親(身内)の、「愛情」や「しつけ・指導」という言葉で正当化されやすい“心理的な虐待”に当たるとされる行為の中に自分の苦しみの原因があったのだ、と今までわからなかった『原因』がはっきりしたことが大きかったからでしょう。

原因が親にあったということなどを日本であからさまにするのは、とても勇気のいることですので、モヤっとさせておくことのほうが都合の良いことかもしれない。だから『複雑性PTSD』という概念がなかなか表に出てこないのではないでしょうか。

 

このような根本原因に焦点を当てずに、本人だけを治療しようとしても、うまくいかないはずです。

特に、自分を誤魔化せない敏感で繊細な気質を持った人が結構いらっしゃいますが、このような人の場合、『トラウマの後遺症』についての治療を施すことなしに、薬で症状を抑えようとしても、思考で認知を変えようとコントロールしても、トラウマによる恐怖が取り除かれない限り、どうしてもうまくいかないのです。 

 

このようなスピーチを終えて夢から覚めた時、「嬉しい」という気持ちがボクの中にありました。

「人前で、自己表現ができたこと」

「中には、賛同してくれる人がいたこと」

 

これは、このブログで、ボクが自分のことをさらけ出していること、そしてこのブログを読んで下さる方、賛同して下さる方の存在を直に感じることができていることも関係しているかもしれません。

 

 

自分をさらけ出すことへの躊躇と、さらけ出す理由

このブログを初めて1か月。実は、自分が誰であるかを隠さず、過去の自分をさらけ出すことに、躊躇や葛藤がありました。

それは今でもゼロではないかもしれません。

 

だけど、ボクはインナーチャイルド・ワークで「あの日のボク」と出会い、

「あの頃、今の自分のように、学校や、医者という職業に人生を支配される必要はないことほかにも人生の選択肢はあること。個性を花開かせる別の選択肢を模索した方が良い、そういうことを語ってくれる誰かと出会えていたら良かった」

強くそう思いました。

「あの日のボク」=「あの日のボクと同じような境遇・心境の子どもたち」を救える存在になりたい。

それでブログを始めたのです。

 

身元を隠さないのは、『ママ、怒らないで。』を書いた著者だから、という理由につきます。

『ママ、怒らないで。』は、子どもたちそれぞれの個性を花開かせる土台づくりとして、まずはママやパパなど、子どもと関わる大人の方(そのインナーチャイルド)が救われるための本なのです。

 

つまり、「あの日のボクと同じような境遇・心境の子どもたち」が救われるには、子どもたちに選択肢を教えてくれる存在も必要だけど、その子を取り巻く大人の方々の意識に働きかける存在も必要だと思うのです。

 

子どもの成長に関わる大人の方々が、自身のインナーチャイルド(傷ついたままの幼く無力だった頃の自分)の存在に気づき、インナーチャイルドの気持ちを感じよう、救おうとすることが、そのまま子どもとの関りに反映されてきますので

 

だから、『ママ、怒らないで。』の存在を、多くの、子どもと関わりのある大人の方々に知ってほしい。

そう願って、自分の過去をさらけ出した。それが身元を隠さない理由です。

 

さいごに

現在、ブログは第1章「あの日のボクへ」が12話で完結し、第二章「発信」が、次回で12話が完結になります。その後は第3章に変わり、子どもたちと対話をするような、そういう文章を綴ってみたいと考えています。

 

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

最後までお読みくださりありがとうございました。