『生きる道の選択(せんたく)』は大人にも子どもにも与えられている

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  • 「人生(じんせい)は選択(せんたく:えらぶこと)の連続(れんぞく)」といわれること
  • じっさいにボクたちはいろんな場面(ばめん)で選択(せんたく)をくりかえしていて、それはとても重要(じゅうよう)だということ
  • 選択肢(せんたくし)がない、という “えらぶことができない” 人生は、ばあいによってはとても苦(くる)しくて辛(つら)いものだということ

 

これらのことを、ボクはこのブログでなんどもつたえてきました。

 

ボクたちは、子どものころからもっと、じぶんのことをじぶんでえらぶことができるなら、そしてその、じぶんがえらんだものをお父さんやお母さんがよろこんでおうえんしてくれるなら、もっと主体性(しゅたいせい:じぶんの意志《いし:かんがえ》・判断《はんだん:ものごとをりかいして、かんがえをきめること》によって、行動《こうどう》しようとする態度《たいど》)がそだって、

  • じぶんは何がすきなのか
  • じぶんは何がきらい(にがて)なのか
  • じぶんは何がやりたいのか

そういうことがはっきりとわかる人になれるとおもうのです。

 

えらべる? えらべない?

おもちゃ

おかし

しょくじ

ふく

テレビ

あそび

おでかけするばしょ

おふろに入るか入らないか

ねるじかん

 

じぶんできめられるものはどれくらいありますか?

ボクは、子どもにはえらぶ権利(けんり:あるものごとを、じぶんのかんがえで自由(じゆう)におこなったり、ほかの人にもとめたりすることがみとめられていること)があって、大人はそれをうけとめて尊重(そんちょう:とうといものとしてたいせつにあつかう)する義務(ぎむ:やるべきこと)があるというかんがえです。

すこしむずかしいことばでしたが、つまり、こどもはじぶんでえらんでいいし、大人がだめだと思っても、子どもはじぶんのいけんを言って、はなしあって、納得(なっとく:もっともだとおもえること)してきめさせてもらえる、

それがだいじなのではないかなとうことです。

 

では、次の中で、じぶんでえらんでいいものはありますか?

 

ほいくえんやようちえん、がっこうに、にゅうえん・にゅうがくするか、しないか

どこのえん・がっこうへ通(かよ)うか

先生(せんせい)はだれがいいか

クラスはどこがいいか

給食(きゅうしょく)でたべきれないものをたべるか、たべないか

宿題(しゅくだい)をするか、しないか

運動会(うんどうかい)などの行事(ぎょうじ)にさんかするか、しないか

(まな)ぶ教科(きょうか)はどれにするか

 

これらはきっと、ほとんど人が、

 

  • さいしょからきまっているあたりまえのこと
  • これに合わせられないのはダメな子・わがままな子・こまった子
  • もしえらべたりしたら、きっとまとまらなくて問題(もんだい)ばかりおこる
  • これに合わせられないなら将来(しょうらい:これからさき)この世(よ)の中で生きていけない

 

などといったふうにかんがえるのではないかな、とおもいます。

 

その子の意志(いし)とは関係(かんけい)なく与(あた)えられた、学校(がっこうやほいくえん・ようちえん)という環境(かんきょう)への適応(てきおう:うまく合わせること)を、子どもたちにはもとめられているのです。

 

大人はえらべるのに

大人たちは少なくともじぶんで職場(しょくば:はたらくところ)をえらぶことができている。

そしてどうしてもいやなら辞(や)めてほかの職場(しょくば)にかえることができる。

だけど子どもはじぶんに合っているとおもう学校(がっこう)もえらべない。

じぶんの好(す)きな先生もえらべない。

これがやりたい、これについてもっと深く知りたいと思う科目(かもく)もえらべない。

 

『えらべない』

 

このことが、子どもたちの心の健康(けんこう)をうばい、人生にざんねんな影響(えいきょう)をあたえてしまっている。

ボクは長年(ながねん:ながいあいだ)やってきた、心の専門家(せんもんか)のしごとをとおして、これをいたいほどかんじているのです。

 

なぜ子どもはそれ(えらぶこと)ができないのだろうか。

大人になってからでなくてはそれができないというのは、おかしくないだろうか?

このような不満(ふまん)を口にする子は、はたしてわがままな子といえるだろうか?

 

子どもにはそれぞれ、その子の、その子にとってだいじなペースがある。

どうしても学校に合わない子はいるし、学校という集団(しゅうだん)でかつどうするばしょでないほうがふさわしい子がいて、人間だから当然(とうぜん)のはず。

しかし、学校という社会(しゃかい)のペースに合わせて生きていくしかない。

学校でのいやなこと、でもそれを言ったら大人をこまらせる。

だからがんばるしかない。

ももう息(いき)がきれた。

大人や学校のペースに合わせて生きることの限界(げんかい)だ。

ほかの子やほかの兄弟(きょうだい)はついて行けているのに、どうしてじぶんだけこうなるんだろう。

 

こういう疑問(ぎもん)やきもち、かんがえは、なやんでいる子どもたちのものでもあり、以前のボクのものでもあるのです。

 

「どうして学校に行きたくないのかわからない」

「どうして学校に行けないのかわからない」

それは、もし表(おもて)に出したら親(おや)や学校(がっこう)をこまらせてしまうことばかりだからです。

 

(まえ)の時代(じだい)の「あたりまえ」を守ろうとすると生きづらい

時代(じだい)はかわり、家族(かぞく)のありかたや環境(かんきょう)、子育てのしかたも、お父さん・お母さんの子どものころとはだいぶちがいが出てきています。

それにともなって、前(まえ)の時代(じだい)の「あたりまえ」のことで、だんだん通用(つうよう:うけいれられること)しなくなっていくはずのものが出てきています。

「あたりまえ」を「あたりまえ」と思い続けて、それを守(まも)ろうとしてしまうことで、生きづらいとかんじることが意外(いがい)に多いのです。

 

さいごに 

『生きる道の選択(せんたく)』は、大人にかぎらず、本当は子どもにもあたえられている。

それが当たり前の世(よ)の中に近づいていくようねがいながら発信(はっしん)をつづけたいと思います。