『心が死ぬ』? 「学校がつらい、イヤ」な子どもの心はどうやって守るか

                    f:id:saitomc:20170804112105j:plain

第三章6つめの記事(きじ)です。

ここまで「学校へ行かない選択(せんたく)」についてかいてきましたが、「学校へ行かない選択(せんたく)」をするまでではない子や、工夫次第(くふうしだい)で大丈夫(だいじょうぶ)になる子ももちろんいます。

今日は、「学校がつらい、イヤ」「どうしてもイヤなことがある」という子どもの心はどうやって守(まも)るかについてかんがえます。

 

先日の記事(きじ)のさいごに

お父さん・お母さんからは、「子どもの、じぶんでのりこえる力を邪魔(じゃま)してしまうんじゃないか?」「どこまで見守(みまも)って、どこで判断(はんだん)するのか、そのタイミングやポイントに迷(まよ)う」という意見(いけん)をよくききます。

そういうことについてもかんがえをまとめて記事(きじ)にしようと思います。

 とかきました。

 

これは子どもさんのつらい気持(きも)ちをうけとめて手助(てだす)けするときのことですが、たしかにここの判断(はんだん)はとてもむずかしいですね。

子どもさんの生まれ持(も)った気質(きしつ)や生まれ育(そだ)った環境(かんきょう)によっても違(ちが)いがありますので、とてもデリケートなところです。

 

おそらく教育(きょういく)の専門家(せんもんか)と、ボクのような心の専門家(せんもんか)とでも判断(はんだん)のポイントが異(こと)なるでしょうし、意見(いけん)やかんがえも人それぞれちがうでしょう。

 

「子どもをきちんを育(そだ)てないといけない」という大人の感覚(かんかく)と、子どもの立場(たちば)・目線(めせん)・心の状態(じょうたい)に降(お)りた感覚(かんかく)とでも答(こた)えはちがってくるわけです。

 

ここでは、子どもの立場(たちば)・目線(めせん)・心の状態(じょうたい)に降(お)りた感覚(かんかく)の方(ほう)にスポットを当(あ)てて話(はなし)をすすめることで、

「大人はどう判断(はんだん)したらいいか」

「子どもはどうしてほしいか」

ということに考(かんが)えをめぐらしてもらえたらいいなと思います。

  

『心が死ぬ』

1年ほど前だったか、学校に行っていない8歳の男の子が、心理(しんり)カウンセラーであるボクの妻(つま)に『学校へ行ったら心が死(し)ぬ』と言ったことがあります。

それを聞(き)いた妻(つま)はいくつか質問(しつもん)をしました。

わかったことは、

 

学校では

「規則(きそく:きまりごと)にしたがって、そのとおりにしなければならない」

「イヤなことをイヤといってはいけない」

「じぶんの気持(きも)ちを殺(ころ)さなくてはならない」

 

ということでした。

 

『心が死ぬ』

 

ドキッとするけれど、とても的(まと)を得(え)た(たしかにそうだなぁと思える)ことばだと思いました。

 

みなさんはいかがですか?

「イヤなことはない」

「イヤなことがあってもへいき」

「イヤだけど楽しいこともあるから問題(もんだい)ない」

「イヤなことはイヤといえるし、やりたくないことはやらない」

「イヤだけど仕方ない」

「イヤなことをやらないといけないのでつらい」

このように、人それぞれで感(かん)じ方もそれぞれだと思います。

 

『心が死ぬ』というのは特に、「イヤ」という気持(きも)ちにごまかしができない子にとってピンとくることばではないでしょうか。

 

 

宿題を絶対にやらない子

先日(せんじつ)、カウンセリングをうけているあるお母さんから、

「子どもがいくら言っても宿題(しゅくだい)をしないで学校へ行くので、先生から話(はなし)合いによばれたんです」

と聞(き)きました。

子どもさんは

「なんで宿題(しゅくだい)しなくちゃいけないの?」

と聞くけれど、お母さんは

「決(き)まりだから」

としか答(こた)えられなかったそうです。

それから

子「なんでかってに決める?」

母「習(なら)ったことをちゃんとおぼえるために必要(ひつよう)なのよ」

子「なんでやりたくないのにやらないといけない?」

母「決まりは守(まも)らなきゃ」

子「だったらオレは学校なんか行きたくない」

母「あなただけそんなわがままいったら先生がこまるでしょ」

子「先生のための宿題なの?」

母「じぶんのためでしょ」

子「イヤなことやらされるんじゃじぶんのためにならない!」

 

このような言い合いがつづいたそうです。

 

「宿題(しゅくだい)はだれのため・何のため?」ということについては、それぞれでかんがえが異(こと)なると思うので、それについてはここではふれません。

 

肝心(かんじん)なのはこの会話(かいわ)にでてくる

「決(き)まりを守(まも)らなければいけない」

「イヤなことをやらされる」

といったところが、『心が死ぬ』の中身(なかみ)と似(に)ていることです。

 

宿題(しゅくだい)がどうしてもイヤなこの子にとっては、勉強(べんきょう)を身(み)につけるより、「やらされるのはイヤ!」「今はやりたくない!」という意志(いし:かんがえ)をつらぬくことが大事(だいじ)だったのです。

 

宿題(しゅくだい)にかぎらず意見(いけん)がはっきりしていて、決(き)められたとおりにしないので『問題児(もんだいじ)』と言われることもあるそうですが、はたしてそういっていいのでしょうか。

 

ボクは反対(はんたい)に先生(せんせい)や親(おや)からどう思われようと、何をいわれようと、ここまでじぶんの意志(いし)をもって、それをつらぬこうとするなんて、この子はりっぱだ!と思うのです。

 

さて、宿題(しゅくだい)はどうしましょう。

ここなのですね。

どうしたら心を死なせないですむのか。

またはどうしたら心を死なせてしまうのか。

 

みなさんはどうしたいか、ぜひ考(かんが)えてみていただけたらと思います。

つづきはまた明日(あす)にします。

お読(よ)みくださりありがとうございました。