『親から満たしてもらえなかった心の飢え』が、子育てや夫婦、対人関係に影響し、うまくいかない現実に葛藤を抱えている、という方がたくさんいます。
わたしは(ボクは)どうでもいい存在なの?
「ねぇ、お母さん」
「ねぇねぇ、見て」
「ほら、これすごいんだよ」
「今日学校でね」
「お母さん、わたし本当はね・・・」
「お母さん?」
あなたが小さい頃、お母さんやお父さんへの働きかけに、お母さんやお父さんはどのように答えてくれましたか?
「なぁに?」
「あら、これどうしたの?」
「へぇ、こういうのがあるんだねぇ、驚いた」
「うんうん、それで、○○はどう思ったの?」
「大丈夫、お母さん待ってるから、一緒に考えるから言ってごらん」
受け答えには、その人の向き合う姿勢が表れますよね。
・心ごと向いて感じようとしている
・(いつも)心を向けてくれない
子どもはそういうことは敏感にキャッチしていて、
心の交流
つまり『共感』が(いつも)得られないとなると、とても寂しく感じます。
お母さん、お父さんにとって、わたしは、ボクは、
「どうでもいい存在?」
「必要のない存在?」
「邪魔な存在?」
「いなければいい存在?」
極端かもしれないけれど、親から存在価値が認められていないという感覚を抱き、こういうふうに感じて、ずっと自分の価値を認めることができないままの大人である人は、少なくありません。
伴侶に心が向けられているか
ある時妻が、 「あなたって私に関心がないよね。私が何を考え何をしているか。子どもとどう過ごしているか。全然見てない気がする。心を向けてほしい」 と言いました。
具体的には、 「遊びやふれあい、お世話をママばかりに求める子どもの要求に応え、自由な時間や休まる時がないことに圧迫感を感じている。そのプレッシャーは男の人にはわからないものかもしれない。
わかるんだったらきっとねぎらいの言葉があるんだろう。『大変だったね、お疲れ様』とか。
男の人は仕事で疲れたといってゆっくり休まる時間が持てるし、それに何の罪悪感もいらない。
あなたがクライアントさんのことで責任や、家計を支えるという責任を負って苦労しているのはわかる。でも大変なのはあなただけじゃない。私の大変さも、私を見て、感じてほしい。
関心を、心を向けてほしい。」
というものでした。
「わかってるつもりだけど・・・」最初はそう思いました。
しかし、仕事(以前はクリニックで医者)による疲労やストレスを抱え、クライアントさんの人生に対する責任を負っているという感覚を無意識に持ち、妻の存在や家事育児の価値よりも、自分の責任の方の価値が優先されていたのです。
育児をしながらの家事や買い物がどれほど大変で価値のあることか。
それは、奥さんの立場になってやってみないとわからないところが大きい。
自分は妻の大変さを理解しているつもりだったが、それでは足りなかった。
無自覚に刷り込まれている男女の役割に対する差別観に驚きました。
優位に立つことでの安定
その価値を認めてしまうと不利になる、すなわち、自分の中の、妻より上に立っていることでの安定(優越による安定)が脅かされる。そういうものが、日本の男性には代々受け継がれているのではないでしょうか。
価値が対等だと、「権限」や「自分の思い通りにできる時間・空間」をうまく行使できなくなりますから。
つまり、それを維持するために権力(家庭内の地位)と経済力を行使したパワーゲーム(主導権争い)に至るのには、こういう背景があるわけです。
大切なことは、妻が求めていたのは「権限」や「自分の思い通りにできる時間・空間」というものよりも、「心」。
「関心」「共感」という、存在価値を認めたうえでの『心の交流』でした。
良い意味での親代わり
親子と同じですね。
伴侶が“親”と置き換わる部分や場面は多々あります。
良くも悪くも、伴侶は “親代わり” の存在となることがある。
親から満たされなかったものを、伴侶に、過剰に求めすぎれば、それは重荷や束縛となって関係に悪影響します。
一方で、親から満たされなかったことが何なのかをわかったうえで、伴侶や我が子との間では『心の交流』を大切にして、夫婦で、家族で満たし合う。
そういう家族関係が築かれれば、『満たされなかった心の飢え』を満たしていくことだってできるのです。
丁度いい加減
「満たされたい」にしがみつき、盲目になって求めては、心が離れる。
「相手を満たそう」と、過剰に介入すれば、心は離れる。
だから『心を向ける』そして『感じる』、『相手の立場に立つ』。
丁度いい加減が、夫婦の心の交流には必要です。
「心を向ける」は、どんなことよりも尊い価値がある
ちなみに、子どもの存在や心に寄り添い、それを感じ、しっかりと共感しながら『子どもを育てる』ということは、どんな仕事よりも価値がある。
今のボクはそう思っています。
その価値を認めることは、“今は伴侶との心の交流の取り方がわからない”という場合でも、まずは優先することを心掛ける必要があることだと思っています。
なぜなら、我が子の視点に立って我が子に心を向けることは、子どもの頃、親から満たされなかった自身の心の飢え(インナーチャイルド)を満たしていくことにもなり、それによってもたらされた“調和の波動”が夫婦関係の回復につながっていくという現実を見てきたからです。
一見、生産性がなく、誰も見てくれない。
そういう孤独感を抱えて子育てしなければならないのでは報われません。
とんでもない!
どんな仕事よりも、稼ぎよりも、
『子どもの存在と心』に心を向けることがどれほど尊いことか。
夫婦も同じかもしれません。
どんな仕事や稼ぎがあっても、『伴侶の存在や心に、心を向ける』がなければ、相手はきっと尊敬できないし、価値も認めきれない。
与えることと、受け取ること、どちらも同じだけ、大切なのですね。