昨日(きのう)は「宿題(しゅくだい)をしない男(おとこ)の子」の話(はなし)をしました。
宿題はやらなければならないという決(き)まりと、絶対(ぜったい)にやりたくないという男の子。
さて、宿題はどうしましょう、みなさんはどうしますか? という問(と)いかけをしました。
やりたくないことを無理(むり)やりやらされることで
『心が死ぬ』
ボク自身(じしん)も別(べつ)の男の子の、このことばを頭(あたま)において考(かんが)えることにしました。
宿題やらないごっこ
昨日の記事(きじ)が子どもさん方にも伝わるものかどうか確認(かくにん)したいということで、妻(つま)が8歳になる息子(むすこ)に読(よ)んで、聴(き)いてもらっていました。
すると息子は、
「『じぶんならこうする』と思うのががいくつかある!」
といいました。
そのまま息子と妻の「宿題やらないごっこ」がはじまったのでした。
ひとつめのパターン:『心が死ぬ』結果(けっか)
妻「ちゃんと宿題(しゅくだい)やった?」
子「やらない。やりたくない!!」
妻「またそんなこといって、決(き)まりでしょ」
子「なんでやらないといけないの」
妻「学校で習(なら)ったこと身(み)につけるためでしょ! やらないと知(し)らないよ」
子「やりたくない」
妻「決まりは守(まも)らなきゃ!
あのね、大人になって社会(しゃかい)に出たら、なんでも決まりに従(したが)わないとやっていけないんだよ。
学校や先生のいうことや決まりに従うのはその練習(れんしゅう)!
それができないとあたりまえに生活(せいかつ)なんてできないよ。
お金だってかせげないんだから。
わかった? 困(こま)るのはじぶんなんだからね」
感受性(かんじゅせい:そとからのしげきをふかくかんじとり、心にうけとめる力)が強(つよ)く、役(やく)にはいりこむ息子は、ここでことばに詰(つ)まってつらい表情(ひょうじょう)になり、目(め)には涙(なみだ)がたまりました。
そしてうつぶせになって枕(まくら)に顔(かお)をうずめました。
妻「ごっこでもこれだけダメージあるんだ! 心が死ぬかんじ?」
子 (うなずく)
どんどんたたみかけるような、正(ただ)しそうなこと、将来(しょうらい)への不安(ふあん)をおしつけるような言い方(かた)が、『脅(おど)し』にかんじられたのでした。
*これが現実(げんじつ)だったら心に傷(きず)がつき、トラウマになってしまうことがありますが、これはあくまでもごっこです。
息子はこういう「本気(ほんき)のごっご」が大好(だいす)きで、なりきって感情(かんじょう)が高まるのはいつものことですし、今回も息子の希望(きぼう)でやっていますのでダメージの心配(しんぱい)はいただかなくて大丈夫(だいじょうぶ)です。
それから気持(きも)ちの切(き)り替(か)えにしばらくかかったあと、次(つぎ)のをやりたい、と息子。
ふたつめのパターン:学校へ行かなくなる
妻「宿題(しゅくだい)やったの?」
子「やらない」
妻「またやらないで学校行くの? 先生なんていう?」
子「・・・・」
妻「あら、〇〇くんはまた宿題やってないの?っていわれるよ。
先生困(こま)らせるでしょ」
子「やらない」
妻「いいからやってちょうだい!」
子「イヤだ!」
妻「やりなさい!」
子「じゃあ学校行かない」
妻「行かないでどうするの」
子「勉強なら家でやればいい。なんで学校へ行かないといけないの?」
妻「学校はね、勉強(べんきょう)だけじゃないの。お友(とも)だちと自分(じぶん)の違(ちが)いを知(し)ることで自分のことがよくわかるようになるし、自分と違(ちが)う人がいるってことも学(まな)んでいけるの。嫌(いや)な子がいたらどうしたらいいか考えるでしょ? そういうのが大事(だいじ)なの!」
子「友だちだったらいるじゃん」
妻「まぁそうだけど学校だとクラスや班(はん)は選(えら)べないでしょ? イヤでも合わせないといけない。イヤでもガマンしてうまくやっていこうと工夫(くふう)するじゃない。そういうのが大事なのよ」
このあと息子はムッとして、
「ひきこもる」
といいました。
『学校には行かない、部屋(へや)に閉(と)じこもって出ない。
手をひっぱられてむりやりつれて行こうとしても、ぜったい行かない!』
つまり不登校(ふとうこう)です。
妻「こんなふうなかんじで不登校になるのはつらいね。
こんなふうに大人から正しいことと決めつけられて、もっともらしい言葉でどんどんまくしたてられたら、がっくりくるね。
知恵(ちえ)や言葉数(ことばかず)では大人にかなわないから、言い返すこともできなくなっちゃうもんね。
なにも言いたくなくなって閉じこもるしかなくなちゃうわね」
子「ぜったい イヤ」
妻「お父さん・お母さんが『いいよ、大丈夫』ってうけいれてくれたらさ、先生やお友だちからどう思われても気にならないと思う?」
子「うん、ぜんぜん!」
妻「それはそうだよね。お父さん・お母さんが『大丈夫』って思うかどうかで天国(てんごく)と地獄(じごく)だね」
子「うん」
妻「じゃあ宿題はどうしようか」
子「やらないからね?」
妻「お母さんが先生に、『うちの子は宿題しませんので許(ゆる)してください』っていったら学校に行けるのかな?」
子「そうしたら守(まも)られる。行ける」
子「はい、じゃあ次(つぎ)!」
息子はまだまだやりたい様子(ようす)。
みっつめのパターン:暴力
ふたつめまでと同じようなごっこから、こんどは暴力(ぼうりょく)に発展(はってん)しました。
暴力というのは、物(もの)へのヤツ当たりで、なぐる、投(な)げる、蹴(け)るです。
妻「心に気持(きも)ちを閉(と)じ込(こ)めてひきこもるよりは、こっちの方(ほう)が気持ちを外(そと)に出せるからまだいいね」
子「そう」
妻「なるほど、ありがとう」
というわけで、思いがけずこういう展開(てんかい)になったので、そのまま記事(きじ)にさせてもらうことにしました。
(*ごっこの会話は妻が書いてくれました。)
いかがでしたでしょうか。
『心が死ぬ結果(けっか)』と『心を死なせない結果』の中身(なかみ)がごっこによって再現(さいげん)されていたのではないかと思います。
ひとりひとりが違(ちが)うことをわかってくれる大人の人もたくさんいます
昨日(きのう)の記事(きじ)にたいして、
「今の子どもたちは、ずっと大切(たいせつ)なことをわかっているのかもしれないな」
というコメントをいただきました。
みなさんは、どんなことがじぶんにとって大切かわかりますか?
また、
「大人は逃げ場所(にげばしょ)を考(かんが)えられるけど、子どもはそうもいかないからね」というコメントもいただきました。
『心が死なない』選択(せんたく)のためには、『逃げ道(にげみち)』『逃げ場所』が必要(ひつよう)な場合(ばあい)もあります。
子どもたちは、大人が気づかないところで(子ども自身⦅じしん⦆も多⦅おお⦆くは意識下⦅いしきか⦆で)本当は、家庭(かてい)に愛情(あいじょう)と安心(あんしん)できる居場所(いばしょ)を求(もと)めていることをひしひしと感(かん)じます。
「逃げ場所(にげばしょ)」、 大切な良いことばだと思います。
子どもはそうもいかない分(ぶん)、大人が一緒(いっしょ)に考(かんが)えてあげられて救(すく)われるといいなと願います。
さいごに
「“この子の将来(しょうらい)のため”にはこっちが大事(だいじ)」
という大人の理屈(りくつ)でとらえた価値観(かちかん)よりも、
子どもさんの、今の、「イヤだ」「やりたくない」と思う
自然(しぜん)な感情(かんじょう)や気持(きも)ちに「寄(よ)り添(そ)うこと」、
「よし、やろう」と思う気持ちになるまで「待(ま)つこと」、
が優先(ゆうせん)されると子どもさんは安心(あんしん)です。
「“将来(しょうらい)”よりも“今”に生きる子どもたち」
「“理屈(りくつ)”よりも“感情(かんじょう)”で生きる子どもたち」
にとっては、
この、「“今”に生きること」と「“感情”で生きること」が優先され、守られることが、
「じぶんらしく生きるためのとても大切(たいせつ)なもの」
であるように感(かん)じられてなりません。
社会の常識(じょうしき)という壁(かべ)が立ちはだかるかもしれませんが、子どもさんの
“今ここで大切なこと”
を守ってあげられるお父さん・お母さんが一組(ひとくみ)でも増(ふ)えることで、世の中になにかしらの影響(えいきょう)がもたらされるように思います。
さいごまでお読みくださりありがとうございました。