HSCにとっての学校教育(情報処理という特性の視点から)

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 はじめに

前回の記事では、「HSCにとっての学校」というタイトルで、HSC・HSP関連の書籍や情報をもとに、「HSCが生まれ持った気質特性」と「学校という環境」をテーマに、記述させていただきました。

 

HSC・HSPについての情報を収集している中で、精神科医である*岡田尊司先生の著書、『発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)という本の中に出てくる「非定型発達」という言葉やその概念が気になり、HSC・HSPとの関連について考えてみたくなりました。

岡田尊司氏…精神科医。医学博士。東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒。同大学院医学研究科終了。(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 著者経歴より抜粋)

 

今日は、『発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)の中から、「非定型発達」と「HSC」との関連に焦点を当てながら、「定型発達」とされる平均的な発達を基準とするタイプとは異なる「情報処理の特性」と「学校教育のシステム」における問題について触れていきたいと思います。 

 

敏感な遺伝子タイプを持った子ども 

この本の中で、「敏感な遺伝的体質(遺伝子タイプ)を持った子ども」という言葉が登場します。

 その、敏感な遺伝子タイプのひとつが、好奇心が強く衝動的なタイプです。

このタイプは「新奇性探求」という言葉で呼ばれていますが、この遺伝子タイプを持つ子どもでは、「ADHD(注意欠陥/多動性障害)」になりやすいとも言われています。

 

そしてもうひとつの敏感な遺伝子タイプが、不安の強いタイプです。

このタイプは、ストレスや不安を感じやすく、うつになりやすく、

また幼い頃に保育所や人手に預けられることにあまり適応できず、

いずれのタイプも、不利な養育や環境のもとでは愛着や発達面で影響が出やすいと言われています。

 

注目すべきところは、不安の強いタイプがストレスや不安を感じやすく、うつになりやすいなど、HSC・HSPの特徴と酷似している、というところです。

大抵のHSCは常に多少の不安を抱えていて、時々は、短期間(2週間未満)うつ状態になることもある、と知っておくことです。

(『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン著 / 明橋大二訳 / 1万年堂出版 P322より引用)

 

私は、 カウンセリング経験やHSPとしての自分自身のこれまでの経験、そして、HSCである8歳の息子やHSCの子どもさんを持つお母さん方との関わりを通して、HSC・HSPの特徴として確認されたことと、HSC・HSPに関する書籍や情報とを照らし合わせて確認できた共通点を、ブログ内で発信させていただいています。

 2018-03-01 の記事
『HSCの気質に合わせた子育て』の中で、私は次のようなことを述べています。

HSCは、集団に合わせることよりも、自分のペースで行動することを好んだり、ほかの子は問題なくできることを躊躇したり、小さなことを気にしたりしがちですので、
親は「もっと強い子に育ってほしい」「早く社会に適応してほしい」という思いから、苦手なことを克服させなければならないと考えてしまったりするのです。

そのため、

外向性を基準とする多数派の考え方・感じ方を強要してしまったり、

「あの子はできるのに、あなたはどうしてできないの?」
「そんな細かいこと気にしないの!」「クヨクヨ考えすぎ!」
「イライラさせないで!」「そんなことだと世の中渡っていけないよ!」

などの言葉で、気づかないうちに、子どもの気質を否定してしまったり、心に傷を負わせてしまったりすることで、

「生きづらさ」や「自己否定感」を抱えた多くのHSCに影響が出ているというのが実際のようです。

 

様々な情報を照らし合わせて感じられることは、

HSC・HSPの、子どもさんや大人の方々の多くは、すでに多かれ少なかれ、幼い頃に自分の意志とは関係なしに、無理やり母親から引き離された時の体験が愛着関係における傷となってそれを引きずっているのではないか、そのほかにも何らかのトラウマ体験の後遺症を引きずっているのではないか、ということ。

 

そのために、今自分が感じている不安や苦しみなどが、生まれ持った気質の特性のみによるものなのか、それとも、愛着関係における傷やトラウマの後遺症によって、感じ方や刺激に対する反応、ストレス耐性や物事の受け止め方までに影響が出てしまっているのか、そのライン引き(区別)が非常に難しい、と言えるのです。

  

えば、生きづらさがそうです。

生まれ持った気質が現在の環境に合っておらず、気質に合っていないために、なかなか慣れがこず、そのために生きづらく感じているのか、

だとすれば、その環境から離れ、自分に合った環境を選択していくことで、生きづらさの改善を見込めるのか、

それとも、

もともと傷つきやすい傾向にある、HSC・HSPが、心に傷(トラウマ)を抱えたことで、不安や警戒心が強くなって、さらに過剰に敏感(過敏)になったことでそれが対人関係にまで影響し、生きづらさが増しているのか、

また、早目にトラウマに対するケアを施す必要まであるのか、

といったところで、

その判断は一般には、なかなかつきにくいものです。

 

しかし、傷は深くなる前の、早目のケアは大切です。

中でももっとも重要だと考えているのが、予防です。

その点に関して、HSC・HSPを提唱したエイレン・N・アーロン博士は次のように言っています。

さまざまな調査で、不幸な子ども時代を送ったHSPは、同じく不幸な子ども時代を送った非HSPに比べ、落ち込み、不安、内向的になりやすい傾向がありました。でも、じゅうぶんによい子ども時代を送ったHSCは、非HSCと同様、いやそれ以上に幸せに生活しているのです。HSCはそうでない子よりも、よい子育てや指導から多くのものを得ることができるということです。

HSPは子ども時代の影響を大きく受けています。私が本書を書いた大きな理由はそこにあります。大人になってから過去の傷を癒やそうとするよりも、子ども時代に問題を防ぐほうがはるかに簡単です

(『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン著 / 明橋大二訳 / 1万年堂出版 P433より引用)

 

   

「非定型発達」とは

では、その「非定型発達」についてお話したいと思います。

 

 発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)という本の中で、

子どもの発達は、みんなが一律ではなく、「定型発達」とされる平均的な発達を基準とするタイプに対して、それとは異なる発達の仕方や特性を示す遺伝子タイプをもった子どもが1~2割程度存在すると言われ、それらのタイプのことを「非定型発達」という言葉で呼ばれています。

 

 そして、次のようなことを言われています。

新奇性探求(新しいものに対する好奇心が強い傾向)の高い遺伝子タイプの子どもでは、発達障害の一つである「ADHD」になりやすい。

しかし、遺伝子タイプによって遺伝的リスクをもっていたとしても、その特性自体は、決して「障害」ではなく、そこに不利な養育要因や他の環境要因が加わって初めて「障害」となるのである。

つまり、養育や環境次第で、その特性は生かされも殺されもする。

発達障害」とは呼ばず、「非定型発達」として捉えることを提起する所以である、と。

 

また、定型的な多数派の子どもにできることを基準にそれと比較して、「非定型発達」の子どもの、発達の遅れた面だとか、デメリットな面にばかりに注目すれば、「発達障害」と診断されてしまう子どもがどんどん増えることになるだろうが、それを一つの“特性”とみなして、もっとポジティブな意識をもって働きかけを行い、優れた面に目を向ければ、それは“強み”や“才能”ということにもなる、というようなことについても説かれています。

 

岡田尊司先生は、著書『母という病』(ポプラ新書)の中で、次のように述べています。

不安の強い遺伝子タイプや新奇性探求(新しいものに対する好奇心が強い傾向)の高い遺伝子タイプの子どもでは、概して育てにくく、愛着が不安定になるリスクが、そうでない子より高まる。

とはいえ、母親が安定していて、思いやりのあるかかわりを行うことができた場合には、こうした遺伝子タイプをもっていても、リスクの上昇がみられないどころか逆に親との関係が良い傾向がみられる。敏感なタイプの子どもほど、親の養育の影響を、良い方向にも悪い方向にも強めてしまうのだ。

(『母という病』岡田尊司著 / ポプラ新書 P92⦅ページ数は単行本⦆より引用)

 

HSCにおいても、これに当てはまるようなところはないか探してみました。以下は、アーロン博士の著書、『ひといちばい敏感な子』からの引用です。

HSCは周囲から、反応が強いとか、身体面でのストレスを受けやすい、内気、引っ込み思案、あるいは、抑うつや不安症に関する遺伝子を持っていると評価されることが多いのですが、これらのいずれの面も、例えば良質の子育てを受けるなど、よい環境に置かれた場合には、他の子よりもプラスに作用します。

(『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン著 / 明橋大二訳 / 1万年堂出版 P434より引用)

 

 

不安の強い遺伝子タイプとHSC

発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)という本の中には、不安の強い遺伝子タイプのことは書かれていますが、HSCやHSPのことは明記されていません。

しかし、ストレスや不安を感じやすく、うつになりやすいという意味での遺伝的リスクを持っていたとしても、良い養育を施せば、 ネガティブな面は何ら目立たなくなり、その子のポジティブな面が発揮されていくという点で、不安の強い遺伝子タイプとHSCは、互いに一致していると言えます。

 

  

「非定型発達」の子どもの“特性”とHSC

同じく 『発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)の中で、

人に関する情報処理が、物に関する情報処理よりも優れている「定型発達」に対して、「非定型発達」では、些細な表情から感情を読み取ることや相手の発言の微妙なトーンから言外のニュアンスを感じ取るといった社会的情報処理が概して苦手であるため、コミュニケーションがうまくいかないということも起きるが、別の面での情報処理に長けているということが述べられています。

 

この点については、「非定型発達」の特性とは多少の違いが見られます。

HSCの場合は一般に、些細な刺激や情報でも察知して深く処理する、人の気持ちを読み取るなど、むしろ共感力が高く、過剰な刺激を受けている時以外や安心できる人や空間では、コミュニケーションを望むと言われています。

私が感じる、HSC特有のコミュニケーションの本質とは、一般的に言う、多数派の人の在り方を基準に作られた、社会の外向的社交的なコミュニケーションとは性質が異なり、安心できる特定の人との関係において、共感や共有を重視するといったより深い親密性や心の交流を求めていくもののようです。

しかしHSCは、家以外の自分のペースが保証されないような(集団に合わせることが前提となった社会性が求められる)環境や、刺激の多い環境に置かれると、圧倒されて、人の気持ちや場の空気を読み取る力・感じ取る力が発揮されないなど、社会的な情報処理に苦慮していたり、コミュニケーション下手になったりします。

  

日本では、すでに幼児期から多数派を基準とした社会性や社交的なコミュニケーションが求められているがゆえに、多くの時間を過ごさなければならない外の環境は、HSCにとって、独自のコミュニケーション力を十分に発揮できないのかもしれません。

その意味で、目の前の環境に適応していく中で、別の面での処理能力が長けるようになったとしても不思議ではないかと思われるのです。

  

 

情報処理の仕方は、 主に3つのタイプに分けられると言います。

(以下は、『発達障害と呼ばないで』岡田尊司/著(幻冬舎新書)の内容の概略に見出しを加えたものです。引用部分には『発達障害と呼ばないで』のページ数を記しています)

 

1.「視覚空間型」

映像や動きにかかわる情報を、瞬時に、直感的に処理する能力が高い。

このタイプの子は、迅速で直感的な反応を必要とする運動やモノづくりが得意である。

「視覚空間型」は、簡単に言えば、手や足を実際に動かして学ぶのが得意なタイプである。本を読んで、本から学ぶといったことは苦手である。書かれた文字や文章を読んでもイメージが湧きにくい。抽象的なことほど、その傾向が強く、数学的な記号のようなものに対しては、ちんぷんかんぷんなだけでなく、生理的に受けつけないという場合もある。読字障害や算数障害などの学習障害を伴っている場合もある。

しかし、決して知能や能力が低いのではない。

勉強は苦手でも、職人や技術者、芸術家やスポーツ選手として活躍することも多い。

独創的なアイデアや表現といったクリエイティブ(創造的)な領域においてだけでなく、人間を理解したり、物事の本質を見抜いたり、困難を突破するための方法や戦略を思いついたりといったことにも、新しい着眼やインスピレーションをもたらす能力をもっていたりする。

 

2.「視覚言語型」

文字言語や数字記号、抽象的な概念を処理する能力に優れている。
会話のやり取りは苦手でも、難解な言葉を用いた文章を読んだり書いたりするのは得意である。
他の子と遊んだり身体を動かすことよりも、頭の中で考えることを好む。
自分で本を読んで独学したほうが能率よく身につく傾向がみられる。
学者や研究者、専門技能をもつテクノクラートには、このタイプが多い。 

 

3.「聴覚言語型」

社会的な能力の発達の良いタイプは、聞き取りや会話言語の処理に優れている。
勉強する場合に、自分で本を読むよりも講義や人の説明を聞いたほうが頭に入りやすい。

 

講義形式の授業は、「聴覚言語型」の子を基準にしたものであり、それ以外のタイプの子にとっては、先生の説明を聞く学習方法は、時間と労力をかなり無駄にする。

それでも、ペーパーテストが中心の教育は、「視覚言語型」の子どもにとって有利な面もあり、このタイプの子は授業を聞くのはあまり熱心でないが、成績は良く、本から得た知識が豊富ということが多い。

 (『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P178-180,191,199より引用)

 


「特性」と「教育システム」とのギャップが大きい「視覚空間型」

一番、割をくっているのは、「視覚空間型」の子どもである。
このタイプの子どもにとって、現行の教育制度は、彼らの特性を活かせず、劣等感ばかりを強めてしまいやすいものとなっている。

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P180より引用)

 

「視覚空間型」の子どもでは、体を動かすような強い刺激がないと、注意力が鈍ってしまいがちであり、単調に話を聞いたり活字を目で追っていると、段々覚醒度が落ちてきて、注意力が低下するどころか眠くなってしまう。

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P204より引用)

 

しかし、このタイプは、現場で実際に身体を動かし、人と接する中で情報を集め、問題に対処しなければならないというとき、とても役に立つ存在になる。

行動力があり、具体的な出来事のどこに問題があるのかを、直感的に把握する能力をもっている。

実践的な賢さや処理能力という点では優れていることが多い。

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P206-207より引用)

 

このタイプの大きな特性は、勉強は嫌いで苦手だが、身体や手先を動かして働くのは好きということ

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P208より引用)

 

現代の教育は、5教科優先で実技科目の評価が低い。そうした教育の偏りも、このタイプの子どもたちには不利に働いている。

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P207より引用)
 
2,3割の子どもが「視覚空間型」の特性をもっていることを考慮するならば、本来は公立教育でも、このタイプの特性をもつ子どもが無用な劣等感や自己否定を抱えるのを手助けするのではなく、もっている強みを伸ばし、生きていくための技能を身につけられるように応援すべきであるように思える。

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P204より引用)

 


子どもが学校に行けなくなるというケース

子どもが高校を休みがちになり、中退してしまうというケースが少なくない。

ただ、その場合も、学校に行けなくなることをネガティブに考えない方がよい。

その子には学校での教育が合わないのだ。

進学校詰め込み教育に嫌気がさしているのかもしれないし、授業についていけなくなっているのかもしれない。

勉強や学校という仕組み自体が体質に合わないのかもしれない。

「視覚空間型」の子どもには、そうしたことがよくあることだ。

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P215より引用)

 

不安や対人緊張の強さから集団場面が苦手になり、学校に行けなくなっている場合もある。

しかし、普段の外出やバイトならば意外と平気だということもある。

高校、大学の頃というのは、同年代の存在に対して、とりわけ敏感になりやすく、また、学校や教室といった場に特別な緊張を感じてしまうということがある。

当てられて答えられないといった失敗がきっかけとなっていることもある。

強がっていても案外傷ついていたりする。

いったん自信がなくなると、失敗したことは避けたくなるのが人情である。

それを乗り越えられる子もいるが、ある種、恐怖症のようになってしまうと、行かなければと思うほど、体が動かなくなってしまう。

そういう場合は、学校という枠組みにこだわらないことである。

元気盛りの子どもが、そもそも箱のような部屋に集められて勉強するということの方が、不自然なのだと思えばいい。

体がそれに反発しているのだ。

できないことにこだわるよりも、やりたいことやできることを、どんどんやっていった方が道が開ける。

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P216より引用)

 


子どもの特性に合った教育の選択を

しかし、現実の公立教育は、先にも触れたとおり、高等文官試験以来の伝統を受け継ぐ、5教科主義で講義暗記型教育の名残が強く、官僚育成のための教育が、エリート教育とは無関係な子どもにまで強要されているのが現状だ。

一生使うこともなければ、何の役に立つこともないことを学ばされ、しかも、その出来不出来を偏差値で分類され、平均以下とされた子どもたちは、“劣等生”との烙印を押され、嫌というほど自分は愚か者だという“洗脳”を施され大きくなる。

こんな馬鹿げた教育があるだろうか。

では、そこで優秀な成績を挙げられた子どもは安泰かと言えば、そうでもない。

彼らは学業で自己否定を刻み込まれることはなく、恵まれた学校時代を過ごすことができるかもしれないが、社会に出てみれば、学校で身につけた知識や能力が大して役に立たないという点では同じことだ。

実践的な能力や社会的な能力を養うという点においては、5教科主義や講義暗記型の教育はむしろ有害である。そうした能力を伸ばすどころか損なってしまう。

役人の世界だけで通用するような公文書作成の技術を身につけたところで、それはビジネスの世界でも技術の世界でも人に奉仕する世界でも大して役に立たず、実質よりも形式ばかりを整えるというくだらない体質を身につけてしまう。

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P217より引用)

 

誰もかれもが高校や大学に進むようになったとき、適正とは異なる教育を受け、能力を活かすどころか無駄にしてしまう人が増えたと言えるだろう。

必要なのは、それぞれの子どもの特性に応じた教育であり、「視覚空間型」の子どもには、そうした特性を伸ばせる教育の中身と方法が求められているのである。

(『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P218より引用) 

 

 

発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)を読んで

あくまでも私の直感ではありますが、敏感な遺伝的体質を持った子どもさんは、「視覚空間型」と「視覚言語型」が多いように思います。

ちなみに、私は 基本的に「視覚空間型」で、息子もそれを受け継いでいるようです。

しかし、『発達障害と呼ばないで』を読み始めた当初は、私は「視覚言語型」なのだなぁと思っていました。

このブログ、『あの日のボクへ』の中で、すでに私の生い立ちについてはお伝えしていることですが、

私は、幼い頃から医者になることが当たり前という、人生の選択を極端に限定される家庭の中で育ってきたため、生まれ持った独自の気質が発揮されず、自分が自分らしく健全な発育・成長を遂げることができていませんでした。

中でも大学時代は、良い成績を取ることで親から承認されたいがために、「視覚空間型」の情報処理ではなく、あまり得意ではない「視覚言語型」の処理能力を必死になって身につけながら適応してきたものと思われます。

必死になって身につけていた「視覚言語型」の処理能力は、まさに生き延びるための「サバイバルスキル」だったわけです。

 

このように考えると、意外と私のような方が多いのではないでしょうか。

 

「視覚空間型」のことは、8歳の息子にもわかりやすく説明したら、直感的にピンときたようで、自分はどういうことをするとワクワクするのかを、具体的にたくさん教えてくれました。

私たち家族は、お互いの気質を十分に理解し、それぞれに合った生き方の選択を尊重していくことが大切なのだとする認識を共有しています。

だからこそ、息子も私たち親も、息子が小中学校へ登校するという選択は、今の所まったく頭の中にありません。

そして私たちのその選択は、不登校ではなく、 主体的に学校を選ばないという自発的な意志に基づくものなのです。 

その理由の一つとして、息子の情報処理の特性が学校教育システムと合わないということがありますが、それ以上に、息子の気質が学校環境に合わないことが体験的に認識されたことの方が大きいと思います。

 (学校を選ばないという選択をするまでの経緯についての詳細は、こちら ↓ をご覧ください)

www.kokokaku.com

 

 

さいごに

私は子ども(人間)に宿っている“生命(いのち)”は、それぞれ独自の個性を持った“生命(いのち)”だと考えています。

その、“生命(いのち)”に備わった発達のペースや成長過程のリズムも、それぞれ独自のものがあります。

そして子どもには、生まれ持った独自の気質が存在しています。

その、生まれ持った独自の気質が、その子の個性として花開くかどうかは、その子に与えられた環境の影響が特に大きいと考えます。

その子の生まれ持った気質が個性として花開くことなく押し潰されたとき、『言葉にならない心の叫び』を出すのです。

そのような意味で私は、その子の個性として開花できるような、その子の身の丈(気質)に合った育ち方の選択が尊ばれる世の中になることを切に願っているのです。

 

 

参考文献

発達障害と呼ばないで』岡田尊司/著(幻冬舎新書) 2012 

発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)

発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)

 

 

『母という病』岡田尊司/著(ポプラ新書) 2014 

(017)母という病 (ポプラ新書)

(017)母という病 (ポプラ新書)

 

 

『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン/著(1万年堂出版)2015 

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子