うちの中にはヤモリが数匹いる。
数日前、ヤモリの卵を見つけた息子が、それを虫かごに入れ、赤ちゃんヤモリが誕生するのを待っている。
一昨日は、夕食後、クマゼミの幼虫が木の枝にのぼっているのを見つけ、そっと枝を切って、そっとそっと虫かごに入れ、観察していた。
クマゼミの幼虫は、羽化する場所を決めて、その2時間後には羽化を始めていた。
緑がかった薄い翅を乾かしている、初めてその様子を見た息子は感動し、その後も何度もセミの様子を見守りにいっていた。
セミは翌朝まで、抜け殻につかまりじっとしていた。
外でそっとふたを開け、ツンツンと触るとセミは飛び立っていった。
ボクは子ども時代の記憶がほんとうに乏しく、そういった体験をしたかどうか覚えがない。
しかし、息子を見ていて思う。
虫をさがす、虫を捕まえる、観察する、見守る・・・純粋に、夢中になって、その一瞬一瞬に没頭している。
そしてひとつひとつに興奮し、喜び、感動する。
いのちが誕生する瞬間や、生まれたばかりのいのちに立ち合い、その無垢な存在を愛おしむ。
そういう、何かに夢中になり、没頭し、感動する一瞬一瞬を、ボクも体験しなおしたいと。
そしてその興奮・喜び・感動の瞬間をだれよりも親と分かち合いたかったのだと。
今のボクは、すべての子どもたちが、この『共感』を心から欲していることがわかる。
みなさんの子ども時代はどうだったでしょうか。
何が好きで、何に感動し、何に夢中になったでしょう。
大人になった今、好きなこと、時間を忘れて没頭したいことなどありますか?
悩みや苦しみ、不安、恐れ、罪悪感、生きづらさなどに支配されると、どうしても視野が狭まり、負のループに陥ってしまうという人もいるだろう。
これも、『トラウマの後遺症』という【症状】のひとつであり、身についてしまった【習慣】だから仕方ない。
ボクも、「気にしすぎ」だとか、「何か趣味を見つけた方がいい」と言われたことが何度となくあったが、「ごまかしのきかない人間の気持ちなどわからない人に、簡単に言ってほしくない」と思っていたし、その頃の自分に、「何か没頭できるものを見つけた方がいい」とは言いきれない。
何事にも「過程」がある。
「過程」にこそ価値がある。
過程の中で、嫌なことは嫌と言っていいし、やりたくないことはやらならないでいいこともある。全部自分で決めていいし、自分のペースでいい。
そのうちに、「苦しみから抜け出したい」、強くそう思う出来事や気持ちに直面した時に顔を出す『主体性』が、自分を起こそうとする。
その時に、負のループに陥る習慣をつくったトラウマと向き合ってみよう。そしてもう一度子どもの自分に出会いなおし、過去のつらかった感情を解放しよう。
この過程は誰もが体験する過程ではないんだ。
むしろ、うまくいっていたら通ろうとしないだろう。
今のボクは言える。
ここを通ったほうが得をする。
苦しみを苦しいと感じ、内面を深く見つめ、自分の弱さと向き合うことが、どれほど人を成熟させるのか、それを知っているからだ。
物事の、本質だとか、真実を見抜く目が養われ、何を求めればいいのか、どこへ向かえばいいのか、わかるようになる。
遠回りに感じるかもしれないけれど、本質的な幸せへの最短ルートなんだ。
疲れたら、立ち止まってみよう。
もう一度、子どもの頃の、無垢な、純粋な自分を感じてみよう。
無垢で純粋な、あなたのいのちは、今もあなたの中にあるから。