「いじめ」はどうしてなくならない?【独自の視点で捉えたメッセージと対応】

 

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 「いじめ」

「いじめられる子」だけでなく、「いじめ」が存在することに心を痛め、学校を苦に思う子、また苦にしてきたという方がいらっしゃいます。

「いじめ」を受ける子、受けた方ならその苦しみはなおさらであることは言うまでもなく、そのことがPTSD(トラウマの後遺症)として影響を残し続けることにもなっています。

「いじめ」が起こらない、安心・安全な社会になってほしい。

そう願っても、減ることのない「いじめ」問題。

 

今日は、「いじめ」のつらさから子どもたちが守られることを願い、

解決、対策が困難な「いじめ」には、どのような背景があるのか解説するとともに、後半では、独自の視点で捉えた、『「いじめ」の中に隠れたメッセージ』について解説します。

 

【目次】

「いじめ」は人間関係嗜癖(にんげんかんけいしへき)

「いじめ」も、前回の過食症と同様に(*1)嗜癖(しへき)のひとつであり、人を介する嗜癖(人間関係嗜癖)として扱われています。

いずれも(*2)機能不全家族の中で適応していくために抱えることとなった、自分にとって都合の悪い負の感情や、満たされない欲求を、紛らわす・誤魔化すために身についたものです。

 

(*1)嗜癖アディクション・・・ある行為が、気晴らし程度に留まらず、それがなくては安定しないために、度を超えて耽る、のめり込む、自分の意志ではやめることが困難なレベルに至っていること。

・人を介する嗜癖・・・共依存・恋愛・浮気・セックス・いじめ・虐待(コントロールや侵入を含む) など、

・物に対する嗜癖・・・アルコール・薬物・ニコチン・カフェイン・食べ物 など、

・特定の行動に対する嗜癖・・・インターネット・スマホ・ギャンブル・仕事・買い物 など

 

(*2)機能不全家族・・・親によって親としての責任と機能を果たされていないために、子どもが子どもらしく生きることのできない、安心・安全感のない家族のこと。

 その特徴

①身内・家族間に上下(強者・弱者)の関係や序列的支配体系が存在する。

②家庭内に“親や年長者側に都合の良い”偏った、暗黙のルールや規律・秩序・役割が存在する。

③その家の価値観(あるべき像)に合わせ、家族の期待に応えたり、自分の役目を果たすことによって認められることでしか、存在価値を見出せない。

④その家に受け継がれた価値観や親(年長者)の持つ価値観が、その家庭の中での基準(物差し)となっていて、弱者の立場である子どもさんやお嫁さんがその物差し以外の考えを入れようとしても中々受け入れられない。自由意思を持つことを許されない。

⑤血縁・血族意識が強く、家族内に他者(例えば、特にお嫁さんやお婿さんなど)が入り込むこと(変化)への「抵抗」や「拒絶」が存在する。

 

【「いじめ」とコントロール

欲求や感情の抑制とコントロールの影響

『健全で健康的な家庭』では、家族間・身内間の『対等性・公平性』が保たれ、自分の気持ちや欲求が肯定的に受け入れられ、 ありのまま感じ、ありのまま表現できることが保障されながら、自分らしく生きることができます。

 

しかし、次のような家庭環境

  • 上下の関係(支配・被支配関係)の中で、自然に湧いてきた欲求や感情を自由に表現することを否定・抑制されていた。
  • 自由意思による選択が許されず、我慢や競争を強いられた。比較や差別(親による子どもへのえこひいき、例えば、長男とそのほかの子との差別)が存在した。
  • 親の都合や親の常識の枠に合わせれば喜んでもらえる、合わせなければ喜んでもらえない“条件つきの愛”という、わかりにくいコントロールが存在した。

 

で育った子どもは、「人よりも遅れをとることへの恐怖」と「コントロールされることへの恐怖」を無意識レベルで抱えているため、その自己防衛として、人よりも上(優位)に立とうとしたり、コントロール(支配)する側を選択することが多くなります。

 

コントロールという嗜癖の連鎖

中でも親からコントロールを繰り返し受けてきたことの影響は大きく、そのことがトラウマ(心的外傷)となって、 その中の多くの子どもが、弱者を無意識的にコントロール(支配)する傾向が強くなります。

そのまま大人になって親になると今度は子どもを無意識的にコントロール(支配)する、つまりコントロールという嗜癖が連鎖します。

例えば

・自分の満たされない欲求を、弱者(子ども)を利用して満足させる

・抑圧した怒りや憎しみを、弱者(子ども)にぶつける

・抑圧した怒りや憎しみを、叱責や干渉、あるいは(*3)共依存的侵入という形で弱者(子ども)へ向ける

・自分(親)の都合で考える価値観を、弱者(子ども)に押しつける

・自分(親)の都合で考える基準の枠に当てはめさせるために、弱者(子ども)を誘導操作する

・自分(親)の都合や要求に従わなければ(を満たさなければ)、見捨てるような否定的で拒絶的な言葉や、見捨てるような態度・見捨てるような素振りを、弱者(子ども)に与える(見せる)       

などしてうっ憤を晴らす(心を安定させようとする)というものです。

【参考】

見捨てるような否定的で拒絶的な言葉・・・「もう知りません」、「勝手にしなさい」、「あなたにはガッカリした」、「あんたなんか産まなきゃよかった」、「そんな子はうちの子ではありません」など 

見捨てるような態度・・・無言になる、無視、放置 など 

見捨てるような素振り・・・表情が曇る、顔がこわばる、言葉数が減る、悲しそうな顔をする など

  

つまり、抑圧した欲求や負の感情を無意識のうちに他人(子ども)に向けて解消させているのです嗜癖はすべて、本来向けられるべき相手以外の誰かに向けて、または何かに向けて、解消するための代替行為なのです)

 

(*3)共依存

自分の心の中に閉じ込められた怒りや不満、恐れ、悲しみ、寂しさ、空虚感などの負の感情を紛らわすために、『あなたのために』『あなたのことを心配して』という空気を醸し出しながら、愛情や親切を名目として、『お世話をする』『面倒を見る』『聞かれてもないのに教える』というもの。

それは、負の感情を紛らわすための嗜癖として、『お世話をする』『面倒を見る』『聞かれてもないのに教える』という一面だけでなく、相手の『お世話をする』『面倒を見る』『聞かれてもないのに教える』という行為の中から優越感を得ることにより、自身が抱える空虚感や無力感の穴埋めをしようとする意味合いも含まれている。

『愛情の皮をかぶった侵入』であると言い換えられ、極めてわかりにくいコントロール(支配)であり、気づかないところで、強烈なしがらみで相手の人生を支配し続ける。特に、親から子どもに向けられた時が、深刻である。無力な子どもにとっては、抵抗不能な愛情や親切を振りかざされて、繰り返し子どもの心へ侵入されることになるため、子どもに与えられる負の影響は大きい。

 

このように親からコントロールを繰り返し受けて育った子どもは、今度は自分が親になった時に家庭内で子どもを無意識的にコントロールすることが多くなるのです。

これは「コントロールを繰り返し受ける」という(*4)トラウマが存在することで起こっているため、このトラウマとその中身について誰かが認識して断ち切らない間は、抑圧した感情によって、その家系では代々コントロールが繰り返されていくことになるのです。

 

(*4)コントロールを繰り返し受けるということがトラウマとなるわけ

HSC(Highly Sensitive Childという、敏感で感受性が強く繊細で傷つきやすい子にとっては、虐待的な言葉や行為によって心の傷を負わされる体験だけをトラウマ(心的外傷)として見ていくのではなく、コントロールを繰り返し受けるという、【子どもの心への侵入】によるトラウマ(心的外傷)について、しっかりと認識していかなくてはなりません。言葉の真意もよくわからない無力な子ども時代に、子どもにとって決して気持ちよく感じられない親の都合で考える価値観(言葉でなくても、ある出来事やその時の空気・雰囲気の中に込められたメッセージ性のあるもの)を押しつけられる・植えつけられる・刷り込まれる、または親の都合で考える価値観に当てはめさせるために誘導操作される体験は、子どもにとってはどれも、不本意な心への侵入であり、想像以上に心や自尊感情を踏みにじられる体験になるのです。

  

コントロールドラマ

親からコントロールを受けながら育った子どもでも、

それが親の都合であることをある程度感じたり、見抜いたりしていて、はね返すなど、反発・反抗できる子どもは、感情の抑圧が少なくて済むのですが、

親からの「コントロール」の度合いが強すぎて、コントロールされる恐れのために感情を表に出せない子や、内気で優しくて反発・反抗できない子の場合、いつもコントロールされる側、つまり被支配者側である「いじめられっ子」を演じ続けることになってしまうのです。

 

そして、コントロールに加え「いじめ」によって抑圧した感情がその子にとっての許容量を超えると、PTSD(トラウマの後遺症)としての様々な症状を出すようになります。(PTSDの症状については、詳しくは「『PTSD』~虐待による後遺症~」をご参照下さい)

これは刺激に対して敏感に反応しやすいHSCにおいてより起こりやすい(HSCはトラウマを抱えやすい)と言われています。

 

逆に「いじめっ子」の場合は、親に対して向けることのできない怒りや憎しみなどの感情を、対象を置き換えて放出し、うっ憤を晴らします。

つまりこれは、自分の感情を誰かに向けて解消しようとする、嗜癖としての代替行為なのです。

学校で見られる「いじめ」「いじめられる」という現象は、家庭内のコントロールというドラマの延長として起こっていたり、家庭内(家系)のコントロールドラマを映し出しているものとして見ることができます。

 

「いじめ」がなくならない理由

「いじめ」がなくならないのは、その根源がコントロールドラマが存在する『家庭(家系)』『親子関係』に起因しているものであり、その『家庭(家系)』『親子関係』を健全なものに変化する必要が欠かせないからなのです。

 

「いじめ」から捉えられた、隠れたメッセージ

次に、「いじめ」という現象の中には、隠れたメッセージがあることを感じ取ります。

そのメッセージは、クライエントさんの家庭環境・家族関係を、お父さん・お母さんそれぞれのルーツ(家系)をさかのぼっておうかがいし、把握してきたことで捉えてきた、独自の視点での見解です。

  

Q&Aより

次のような問題を抱えたお母さんがいらっしゃいました。

 

「小学5年生の娘の元気がなくなり、クラスでいじめを受けていることがわかりました。 実はつい最近までは、娘もいじめるグループの側にいたらしく、最近になって急に対象が娘に変わったようです。

娘の話しでは、リーダーの子がいて、その子が「あいつ最近むかつく」と言えば、急にターゲットが変わり、グループみんなでその子を避けるのだそうです。

そのうちターゲットがほかの子に変わるのかもしれませんが、それはそれで問題です。

この事実を知った以上はきちんと解決できればと思うのですが・・・。  」

 

独自の視点からの解説

子どもさんに問題が起こった時、

 

ボクは、お母さんをめぐる人間関係(特に嫁ぎ先や実家の身内の人たちなど深く関わっている人たちとの関係)と、子どもさんの人間関係をつなげて観ていくことを重要視しています。

 

というのは、子どもさんがいじめられているという状況ですが、これについて私は、お母さんの置かれた状況を映し出していると感じるケースを数多く見てきたからです。

 

どうしてお母さんだけ?

という疑問が湧くと思います。

この疑問について、様々なご家族とのカウンセリングでの関わりの中から、その意味について考えたことをお話ししたいと思います。

 

夫婦間のパワーゲーム

多くの夫婦間に、表に出にくい形の支配・被支配(強者・弱者)関係が存在し、しかもその時の立場や状況によってその関係が入れ替わるような主導権争い(パワーゲーム)が繰り広げられていると感じられることがよくあります。

 

しかし、立場的に女性よりも男性のほうに優位に働いていることが多いというのが実際で、これは日本にはまだ父親や男性を立てる風習が根強く、その根底には日本人の多くが無意識に取り込んできた『男女の差別観』が存在してることの影響が大きいというふうに感じられます。

 

『男女の差別観』とはどのようなものかというと、シンプルに表現すれば、男が上、女が下、仕事で収入を得て家族を“経済的に”支える夫が優先されて、家事や育児でヘトヘトになりながら家庭を支える妻は、どんなに自分を犠牲にして頑張っても、やって当たり前、といったものです。

 

もちろんすべての夫婦が当てはまるというわけではありませんが、夫の方も妻の方も、その差別観や価値観で生きていることに気がつかないでいることが多いのです。

 

また夫婦共働きであっても、昔から刷り込まれてきた、男女の立場や役割意識はしぶとく、共働きの夫婦の場合でも、家事の割合は妻が8割というアンケート結果もあるようです。

 

夫は妻が、家事や育児、お姑さんとの関係など、肉体的に、精神的に、どれほどの負担を負っているか、その価値や大変さについて中々理解されることや評価されることは少ないというのが実状ではないでしょうか。

 

このような中から見えてきたことなのですが、その家庭(家系)の人間関係の中で、

そこに対等性がなく、ひとりの人間として尊重されることが少ないという事実が気づかれることがないままに存在する時に、

その不平等な人間関係の状況(コントロールドラマ)を子どもさんに投影させて気づかせようとしている働きがある、というひとつの構図です。

その意味で、より多くのケースで、このような状況に置かれているお母さんの姿が子どもさんというスクリーンにスライドして映し出されているのではないか、ということなのです。

  

子どもが受けるいじめとお母さんが置かれた立場のシンクロニシティ

例えば、子どもさんが学校で「“いじめ”を受けている」時、実はリアルタイムで、お母さんが、誰かからの干渉や考えの押しつけを受けながらも我慢しているというシンクロニシティー(共時性)が起こっていることがあります。

この現象は、カウンセリングにおいて多くの例で共通して見られ、

「支配や圧力に対して服従しているお母さんの姿」

「尊厳が踏みにじられるような扱いをされているお母さんの姿」

「本当は嫌なのに反発することなく我慢しているお母さんの姿」が

子どもさんに映し出されているように見受けられます。  

 

【Check】

  • 義母(義父)、義姉(義兄)、親類との関わりで、負の感情や疎外感に蓋をしていませんか?
  • 職場やその他対人関係で、理不尽な現実や負の感情に蓋をしていませんか?
  • 自分さえ我慢すれば…と相手や周囲ばかりを優先してご自身の存在がないがしろになっていませんか?

 

子どもさんが心に深い傷を負うような「いじめ」にあっている場合、

『言いたいことが言えず耐えなければならない環境…』

それがお母さんと子どもさんでシンクロしていないか、感じてみて下さい。

 

いじめる側・いじめられる側、両方の立場を取るケース 

次に、今までいじめられていた子どもさんがいじめる側(無視や仲間外れも含む)になったり、相手によって状況によって、いじめ側・いじめられ側に変化することもあります。  

 このような時は、お母さんが対人関係において、支配と服従・支配と依存という両方の 関係性の中にあると想定してみます。

 

ご自身が強い(上の)立場になれば、相手に対して優位に立とうとする、弱い(下の)立場になれば、相手に合わせる(服従または依存する)など、状況や立場によって、その相手に対する態度が変化するという姿が、子どもさんに映し出されているというものです。

 

【Check】

相手より上か下かで判断し、対応していると思う。 Yes・ No    

 

Yesであれば、この状況がお母さんに教えようとしていることがあります。

それは、お母さんが育ってきた家族関係や今の家族関係、あるいは現在深く関わっている人たちの中に『主従関係や序列的支配体系』が存在しているということ。

そして、その関係性に『対等性・公平性』が少なくなっている、あるいは、なくなっていることなどです。

 

具体的に次のような例がありました。

今までいじめられていた子どもさんが、別の誰かのいじめに加担するようになった。

お母さんは、嫁ぎ先では姑さんや小姑さんの言いなりになって服従する立場であったが、一方では

実母の前では実母に同調し、ご自身が生まれ育った実家に嫁いできたお嫁さんを排他的・差別的に扱っているところがあった。

 

このような構図が、子どもさんの立場の入れ替わりとシンクロしていたのでした。

     

 

なぜ「いじめ」が起こるのか

次に、子どもさんの「“いじめる”」という行為については、お母さんの『感情の詰まり』が深く関わっていることを中心に詳しくご説明したいと思います。  

 

子どもさんの「いじめる」「いじめられる」という現象は、お母さんの、人間関係における支配と被支配の関係が映し出されているという一面があるということは、すでに述べてきました。

 

そのような現在のお母さんが置かれている人間関係、

例えば、ママ友や嫁ぎ先の人間関係の中に主従関係が存在する場合、

それはお母さんが生まれ育った、上下関係の強い序列的支配体系といった家族関係を映し出しているものと考えられます。  

 

このような家族関係の中で育ったお母さんは、自然に湧いた不満や不信、反感、怒り、敵意、寂しさ、悲しさ、恐怖といった負の感情をあまり表に出すことなく、“がまん強い子”“手のかからない子”“聞き分けの良い子”のうちのいずれかとして育ってきていることが多いのです。

 

そのため対人関係の中で、不満や悔しさ、怒り、嫌悪感、反感、敵意などの負の感情が生まれても、(子どもの頃の、自然に湧いた感情を素直に表現させてもらえなかった経験、または表現しても否定・拒絶された経験が尾を引いて、)それらの負の感情は「無いもの」として蓋の下に閉じ込めてしまいがちです。  

 

しかし、たとえ「無いもの」として扱ったとしても、それらの負の感情はお母さんの心の中に充満して詰まってしまうのです。

 

心の中が詰まって隙間(ゆとり)がなくなったお母さんは、「待つ・見守る・受け止める・ゆずる・許す・認める・尊重する」といった『寛容的な態度』が取れなくなってしまいます。

すると、お母さんの抑えてきた負の感情が、子どもさん(または旦那さん)に対して“八つ当たりや愚痴”となって吐き出されたり、あるいは “しつけやコントロール”という形に置き換わって吐き出されることになります。

 

そうして、お母さんの中に詰まっていたそれらの負の感情を受け止めた子どもさんが、また別の子どもさんをいじめることで吐き出すという連鎖を生むのです。

 

お母さんの心理と連動しやすいHSC

一方で、お母さんの心の中の『感情の詰まり』が“八つ当たりや愚痴”、“しつけやコントロール”という形で吐き出されずに、完全に無かったものとして切り離されている場合もあります。

この場合、たとえ切り離されていたとしても、お母さんの心の中に詰まった負の感情を子どもさんが(無自覚・無意識レベルですが)身代わりに受け取ってしまうケースが存在するものと捉えています。

 

特に(*5)敏感でお母さんの心理をキャッチして連動しやすい子どもさん(⦅*6⦆HSC・HSP気質)の場合、お母さんの心の中に充満して詰まった負の感情を子どもさんが身代わりに受け取るケースが多く存在するものと考えられます。

そして、その身代わりに受け取った感情がその子にとっての許容量を超えると、様々な症状や行動として表れることがあるのです。

 

(*5)HSC・HSP(Highly Sensitive Person)は、自分と他人との間を隔てる「境界」がとても薄く、他人の影響を受けやすいと言われている。

 

(*6)HSC・HSPの特徴・・・①刺激に対して敏感である。人の気持ちに寄り添い深く思いやる力や、人の気持ちを読み取る力など『共感する能力』に秀でている。 ③他人の気持ちや感情の影響を受けやすい。 ④直感力に優れている。漂っている空気や気配・雰囲気などで、素早くその意味や苦手な空間・人などを感じ取る。⑤物事を深く考える傾向にある。自分のペースで思索・行動することを好む。⑦モラルや秩序を重視する。 日本人の5人に1人がHSC・HSPに該当する可能性があると言われている。

 

  

コントロールの連鎖を断つために

変えられるのは親御さんご自身とご自身の家庭

「いじめ」や「いじめられ」の種は、親御さんを取り巻く環境やルーツの中にある、

それが捉えられてきたら、子どもさんや学校にいくら変化を求めても堂々巡りであることに少なからず、うなずける部分が出てきませんか? 

 

子どもさんに、「いじめ」もしくは「いじめられ」が起こっていることを把握されたら、

学校で見られる「いじめ」「いじめられる」という現象が、

家庭内のコントロールというドラマの延長として起こっている

家庭内(家系)のコントロールドラマを映し出している

ものと考え、

 

【対応①】
親御さんが、それぞれのご両親や身内の方々との関係の中で「コントロールを繰り返し受けている、もしくは受けていた」ことを確認し認識していくこと
そして、「コントロールというトラウマとその中身についての洞察」を深めていくこと。
また、コントロール以外の虐待的な言葉や行為を受けていれば、その中身についても見ていきます。

 

 

コントロール・パターンの洞察

コントロールというトラウマの中身(コントロール・パターン)とは、

・自分の満たされない欲求を、弱者(子ども)を利用して満足させる

・抑圧した怒りや憎しみを、弱者(子ども)にぶつける

・抑圧した怒りや憎しみを、叱責や干渉、あるいは(*7)共依存的侵入という形で弱者(子ども)へ向ける

・自分(親)の都合で考える価値観を、弱者(子ども)に押しつける

・自分(親)の都合で考える基準の枠に当てはめさせるために、弱者(子ども)を誘導操作する

・自分(親)の都合や要求に従わなければ(を満たさなければ)、見捨てるような否定的で拒絶的な言葉や、見捨てるような態度・素振りを、弱者(子ども)に与える(見せる)

などです。

 

次に

【対応②】

そのコントロールによって抑圧してきた怒り・恐怖・悲しみなどの負の感情や欲求を拾い上げながら解放していくこと。

 

これはインナーチャイルド・ワークと言われ、心の中に閉じ込めてきた不満や怒り・悲しみ・恐怖などの負の感情が、嗜癖・依存症の問題のほかにも、生きづらさや対人関係の苦しみ、子育てに関わる苦しみ、夫婦間不和の問題などを引き起こす原因となっているため、トラウマ回復のためのセラピーの中でもっとも重要な作業(ワーク)と言えます。中でも怒りの吐き出し(解放)は最重要です。

 

【対応③】

いじめによって子どもさんが深いダメージを負っていると感じられたり、登校を嫌がったりした時は、『いじめからの回避』つまり『逃げる』という選択を最優先にする。

  

【参考】(*7)共依存的侵入は嫁ぎ先でも起こり得る

具体的には“子どものために”“子どものことを思って”ということを名目にして「手助けをしている」「支えてあげている」「お世話している」を装った、求められていない一方的な要らぬ干渉(年長者の権限を利用した土足での侵入)であることが多い。自分が必要とされる状況を自ら作り出すこともある。

そのほかに、子ども(嫁)の上に立つ存在となって、「ごちそうする」「物をあげる」「お金をあげる」などの、優越感を得る行為や会話をするきっかけを作って、子ども(嫁)、あるいは孫に干渉しながらしがみつく(支配する)ケースがある。

嫁ぎ先での共依存的侵入は、夫婦関係よりもご主人のご両親や身内関係を優先してしまっているために、その人たちの侵入を許しているとの見方もできます。

この場合、夫婦でそのコントロールドラマについて見直し、相手との境界の設定や奥さんを守るための適切な対応についての検討がご主人に求められることが多いのが実際です。

嫁ぎ先の関係に限らず、夫婦の絆が脅かされるほどに、夫と妻のお互いのご両親や身内の方々との密着度が強くなっていないかを確認してみましょう。

夫婦がともに、両家のご両親(身内)の価値観や思惑・ペースに左右されない自立した自分を育てながら、両家のご両親(身内)の価値観や規律・秩序・役割・義務に縛られることなく、自分たちの新しい家族の中で吟味した価値観や秩序・ペースなどを最優先に尊重してあげられることが何より大切です。

 

 

 さいごに

学校は、負の感情の発散を「いじめ」で行う子の存在が回避できない場という現実は変えることができません。

学校側や担任の先生の対応や対策に委ねていても、うっ憤のはけ口を必要とする子どもさんの家庭の問題が改善されない限り、いじめが根絶しない現実があるはずです。

「いじめ」を受けること、またはクラス内の「いじめ」を子どもさんが苦にされるようであれば『出席しない』『転校する』『学校以外の居場所を選ぶ』などの選択肢を含め、何を選択するのがいいか、話し合って対処することも大切です。

 

「いじめ」による心の傷から子どもさんが守られますように。

 

さいごまでお読みくださりありがとうございました。

「コントロールを繰り返し受ける」という(*4)トラウマが存在することで起こっているため、このトラウマとその中身について誰かが認識して断ち切らない間は、抑圧した感情によって、その家系では代々コントロールが繰り返されていくことになる
学校で見られる「いじめ」「いじめられる」という現象は、家庭内のコントロールというドラマの延長として起こっていたり、家庭内(家系)のコントロール・ドラマを映し出しているものとして見ることができます。