「学校って何のためにあるの?」
「どうして学校へ行かなくてはいけないの?」
この疑問(ぎもん)への答(こた)えについてボクは前回(ぜんかい)の記事(きじ:ぶんしょう)で、「『じぶんにとって学校が必要(ひつよう)だと思う子のため』と答えたい」とかきました。
少し言い方をかえれば、「育(そだ)ちや学習(がくしゅう)の場(ば)は必ずしも学校でなくていい」
ということです。
導(みちび)きだしたこの答えには、ふたつのポイントがあります。
つまりボクはセラピストの立場(たちば)から、心に深(ふか)い傷(きず)を負(お)いやすい気質(きしつ)の子で、
「学校へ行くことがどうしようもなくつらい」
「学校へ行かせようとすることがその子にとって悪影響(あくえいきょう)となる」
このような子どもさんと、そのお父さん・お母さんへの答えをかいたのです。
個性(こせい)を花開(はなひら)かせる土台(どだい)
ボクは人間(にんげん)に宿(やど)っている“いのち”は、それぞれ独自(どくじ:その人ひとりだけにみられること)の個性(それぞれがもつ自分らしさ)を持った“いのち”だとかんがえています。
そしてその“いのち”の成長過程(せいちょうかてい)のリズムやペースも、それぞれ独自(どくじ)のものだとかんがえています。
しかしその独自(どくじ)の“いのち”が個性(こせい)として花開(はなひら)くかどうかは、その人(子)が育(そだ)った環境(かんきょう)に左右(さゆう:えいきょうをあたえること)される部分(ぶぶん)が大きいように思います。
その人(子)の生(う)まれ持(も)った気質(きしつ)や個性(こせい)が、花開(はなひら)くことなく押(お)し潰(つぶ)されたとき、さまざまな症状(しょうじょう)や問題(もんだい)とされる行動(こうどう)、つまり『ことばにならない心の叫(さけ)び』を出す。
これがボクの、セラピストという仕事(しごと)から得(え)た気(き)づきです。
共鳴(きょうめい)
第一章では『じぶんの体験(たいけん)』(全12話)
第二章からはじぶんの体験に加(くわ)え、セラピスト(心の専門家(せんもんか))としての経験(けいけん)の中で特(とく)に重要(じゅうよう)だと感(かん)じられたことからの、『力や勇気(ゆうき)がわくような発信(はっしん)』(全12話)
をそれぞれテーマにしてかいてきました。
そして第三章にとりくんでいる今、文章(ぶんしょう)をかくまえに、胸(むね)がしめつけられそうなきもちになります。
それはきっと、
- けっして過去(かこ)のことではなく、今現在(いまげんざい)どうしようもないつらさをかかえながら、どうすることもできない子がいる。
- ムリして親(おや)や先生、友だちのまえではがんばってフツウにふるまっているけれど、だれにもわからないところで切(き)れそうな糸(いと)をなんとかつないでる子がいる。
- 「のりこえなくちゃ、でもクラスの雰囲気(ふんいき)や友(とも)だちに合(あ)わせようとすればするほどできなくて苦(くる)しくなる、できないじぶんがイヤになってつらい」
などのつらさや疑問(ぎもん)をかかえながら、どうしたらわかってもらえるのか? その方法(ほうほう)がわからない、
それが痛(いた)いほどわかるから。
その子たちの、
「なんとかわかってほしい」
という心の奥底(おくそこ)の「ことばにならない心の叫(さけ)び」に、共鳴(きょうめい:おなじようにかんじること)し、ボクもおなじきもちになるからだと思います。
「どうしても合(あ)わないタイプ」の存在
ボク自身(じしん)がおなじきもちの経験者(けいけんしゃ)であること。
また心の専門家(せんもんか)として、苦(くる)しみの中を生(い)きぬいてきた方(かた)や、今現在(いまげんざい)苦(くる)しんでいる方(かた)、またそのご家族(かぞく)とふかくかかわったことをとおして、
「『どうしても学校が合(あ)わない』というタイプの子が、その子に合った選択肢(せんたくし)を何のうしろめたさもなく選べるようになったらいい」、
そう思うのです。
そのためにも
「どうしても学校が合(あ)わない」というタイプの子がいるということ、
そのような子にとっては学校で身(み)につけることができるとされる
- 学力(がくりょく)
- 社会性(しゃかいせい:よのなかでまわりのかんきょうや人とうまくやっていくせいしつ))
- 自立心(じりつしん:人にたよらず、じぶんの力でやっていこうとする心がまえ)
- コミュニケーション力
- 適応力(てきおうりょく:うまく合わせることができる力)
といったものを身(み)につけなければならないとされることが、
「その子にとっては虐待(ぎゃくたい:子どもの心と身体⦅からだ⦆の成長⦅せいちょう⦆や人格⦅じんかく:せいかく・ひとがら⦆の形成⦅かたちづくる⦆に悪⦅わる⦆い影響⦅えいきょう⦆をあたえる親⦅おや⦆や大人のことばや態度⦅たいど⦆のこと)とおなじレベルの後遺症(こういしょう)を残(のこ)すという意味(いみ)でトラウマを負(お)わせることがある」、
このようなことを発信(はっしん)しています。
しかしそれをわかってもらうことのむずかしさを知(し)っているのもボク自身(じしん)なのです。
深刻(しんこく)さのレベルのちがいが重要(じゅうよう)
こういうなやみの深刻(しんこく:じゅうだい)さのレベルは、
『人それぞれ』で、
うける心の傷(きず)や、将来(しょうらい)への影響(えいきょう)も人によってちがいます。
ボクが伝(つた)えたいのはそこなんだなと思います。
ボクは心の専門家(せんもんか)になって、家庭(かてい)や学校(がっこう)がその人(子)にとってどれほどつらい場所(ばしょ)だったかを聴(き)いてきました。
そしてそれがその人(子)にどんなふうに影響(えいきょう)しつづけているか、
その心の傷(きず)から回復(かいふく)するのがどんなに大変(たいへん)か、
それを知(し)っているから、だから、
『心に深刻(しんこく)な影響(えいきょう)をうけて、なかなか立(た)ち直(なお)れなくなる気質(きしつ:にんげんがそれぞれにもつ、心やからだのせいしつ)の人もいる』
そういう人(子)にとっては、『育(そだ)ちや学習(がくしゅう)の場(ば)は必ずしも学校でなくていい』ということを多くの人(子)に知(し)ってもらいたい。
これを何とか伝(つた)えたいのです。
さいごに
とはいえお父さん・お母さんからは、
「うけとめたり、手助(てだす)けしたりすることで
『子どもの、じぶんでのりこえる力を邪魔(じゃま)してしまうんじゃないか?』
『どこまで見守(みまも)って、どこで判断(はんだん)するのか、そのタイミングやポイントに迷(まよ)う』」
という意見(いけん)をよくききます。
そのようなことについてもかんがえをまとめて記事(きじ)にしようと思います。
長(なが)い文章(ぶんしょう)になりましたが、最後(さいご)までおよみくださりありがとうございました。