「嫉妬なんて、良いことひとつもない」
「そもそも私は、嫉妬なんてしていない」
「大体これは、嫉妬じゃない」
負の感情の中でも、『嫉妬』は特に
“ないもの”
“みっともないもの”
“あってはいけないもの”
として心の奥底に押し込められているため、中々認めることができません。
しかし、種があると、どうしても『嫉妬』が誘発されるような出来事を引き寄せてしまいます。
では、『嫉妬』が誘発される出来事とはどのようなものでしょうか。
まず、『嫉妬』の意味を調べてみます。
【目次】
- 嫉妬とは?
- ありふれた日常の中の『嫉妬』
- 『嫉妬』と『劣等感』
- 『嫉妬の種』と『 兄弟姉妹の存在』
- 弟妹の存在によってもたらされたトラウマ
- 弟妹が抱える兄姉の存在に対する嫉妬
- 嫉妬の苦しみから解放されるために必要な認識
- 『嫉妬』は先天的に生まれ持ったものではない
- 『嫉妬』『劣等感』の種を植えつける、子どもの気持ちへの配慮不足
- 未解決のまま浮遊している兄弟姉妹の関係性が及ぼす夫婦間への影響
- 苦しい『嫉妬』のパターンから解放されるために
- トラウマからの回復
- さいごに
嫉妬とは?
1 自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。
「他人の出世を嫉妬する」
2 自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられるのを恨み憎むこと。
焼きもち。
悋気 (りんき) 。
「夫の浮気相手に嫉妬する」
『嫉妬』の意味を調べると以上のような例文が出てくるように、
パートナーの浮気や、他人の出世や成功は、嫉妬が誘発される出来事の代表ともいえるものです。
ありふれた日常の中の『嫉妬』
ありふれた日常の中にも『嫉妬』を誘発する出来事はたくさんあります。
テレビやネットなどで自分より優れた人(仕事・生活・容姿など)の情報を見る、
他人の幸せそうな姿やライフイベントを見聞きする、
夫(妻)や恋人が自分以外の女性(男性)を褒める、
など。
これらのすべてに共通しているのは『自他の比較』です。
その比較の中から、自分にないものを他人が持っているとか、他人より自分のほうが劣っているとか、
つまり『嫉妬』には自身の『劣等感』が大きく影響しているということは何となく想像できるのではないかと思います。
ですから『嫉妬』を向上心へと換えて、自分を高める方向(上昇志向)へと活かすなど、場合によってはプラスに働くこともあるかもしれません。
がしかし、種がある限り、引き寄せられるのが『嫉妬』を誘発させる出来事なのです。
『嫉妬』と『劣等感』
『嫉妬』の感情に支配されると苦しいですよね。
『優越感』は心を安定させてくれますが、『劣等感』はその真逆。
負けている、劣っていると感じることで、自身の存在価値が脅かされ、心が不安定になるので当然です。
この「負けている、劣っていると感じること」こそが嫉妬の種。
未解決のまま浮遊している過去の出来事と、それによってもたらされた感情なのです。
この“嫉妬の種”、これが具体的に何なのかを認知し、解消させることができれば、繰り返し迫ってきていた“刺激される嫌な出来事”は減少していきます。
誰にでも起こり得る『嫉妬』の苦しみから解放されることで、より自分らしい生き方ができるよう、今回は嫉妬の種に焦点を当てて書いてみたいと思います。
『嫉妬の種』と『 兄弟姉妹の存在』
嫉妬の種は、兄弟姉妹の存在が影響してつくり出されたものが大部分を占めています。
それは、家庭内の暴力や虐待などの大きな外傷体験が原因となって生じるトラウマではなくて、「兄弟姉妹の関係性の中で生まれるストレス」が原因となって生じるトラウマです。
兄弟姉妹の存在によってもたらされたトラウマは、大人になった今も想像以上に影響が大きく、特に、恋愛や夫婦間において、そのトラウマの再現が起こりやすく、日常生活に支障をきたしてしまいがちです。
では、兄弟姉妹の存在によってもたらされたトラウマとは、どういうものなのでしょうか。
弟妹の存在によってもたらされたトラウマ
『兄弟姉妹』と共に生活しながら成長する過程には、本当にいろんなジレンマがあります。
兄弟姉妹それぞれに与えられた役割を、子どもたちは受け入れる以外に選択肢はなく、良くも悪くも兄弟姉妹という関係性の鎖につながれて生活しなければなりません。
『嫉妬』という感情の発端をたどれば、記憶にはほとんどないような幼少期、例えば兄姉であれば、弟妹の登場にまでさかのぼります。
弟妹が登場したことによって、いよいよ愛情も注目も得られない状況に陥った、「もっと甘えたかった」「もっと(親を)独り占めしたかった」気持ちは封印され、幼かった自分にとって、“弟や妹”という存在は脅威だったのです。
大好きな人(親や兄姉)からの注目や愛情を一瞬で奪い去る存在・・・
そして、その存在のために、自分には必要なものが与えられなくなったという現実・・・
弟や妹より劣ると思われる能力や性質・・・
しかし、“幼く無力な自分”にはどうすることもできず、どんなに悔しくて、悲しくて、心が悲鳴をあげても、それをわかってもらおうとすればするほど嫌な顔をされてしまいました。
そのため、ある子は「きっと本当は私の方が大事に違いない」「私の方が優れている」と思い込ませて生きるより他ありませんでした。
いつしか、“自分のものは貸したくない、あげたくない、触らせたくない、自分の思いを通したい”、そういうことにこだわったり、反対に世話を焼くことで優越したりして・・・強い独占欲や、競争心、高いプライドが備わり、それを死守するためのスキルを身につけます。
自分の欲求が満たされないまま弟や妹が生まれたり、自分の能力や長所を肯定的に受け止めてもらえず、自分より秀でていると思われる弟や妹の能力や性質に注目を奪われるのは、子どもにとって予想などできなかった事態です。
このような関係性の中から生まれることとなった『嫉妬心』や『劣等感』を封印して、「自分は何でもできるに違いない」「できないことはない」という虚栄心や万能感を身につけた“幻想”に生きるようになるのです。
弟妹が抱える兄姉の存在に対する嫉妬
また、弟妹の場合も兄姉との関係性に『嫉妬』は存在します。
ある6歳の女の子は、3歳上のお兄ちゃんの存在によって主導権が得られない分、他の子に主導権を譲らない強引な振舞いをします。
女の子の言い分はこうです。
「お兄ちゃんは聞いてもいないのに私にいろいろ教えて、みんなから偉いね、優しいお兄ちゃんねって言われるけど、私は教えてもらいたくない! 自分でやりたいし、私だって褒められたいのに」
「お兄ちゃんは、誰も見ていないところですぐ叩くんだよ。おさえつけて、それ以上言ったら許さんとか言って、泣いたら私が悪いって言うの。お父さんもお母さんもわかってない。お兄ちゃん、ほんとにズルいよ」
そこには、共働きの両親から十分にかまってもらえない不満やジレンマも重なって、怒りや不満でいっぱいでした。
しかし、この女の子のように、お兄(姉)ちゃんからされたことが、たとえ自分にとって抵抗不能な侵入や虐待行為であったとしても、その時に与えられた“恐怖”の存在が大きければ大きいほど、それらのことを、大人になった現在、
「お兄(姉)ちゃんは私のためを思っていろいろ教えてくれたのだ」とか、
「お兄(姉)ちゃんは妹(弟)思いで、きびしく躾(しつけ)てくれたのだ」
などと理由づけをしていることが多く、無意識のうちに年長者である兄(姉)のことを“敬わなければならない対象”として理想化する傾向にあるのです。
嫉妬の苦しみから解放されるために必要な認識
こうして感じないように心の中におさえ込まれてきた怒りや悔しさ、中でも特に悲しみといった感情と、『嫉妬』や『劣等感』は、未解決のままである限り、その感情を再燃させる現象を引き寄せ悪影響をもたらし続けるため、きちんと整理することが必要なのです。
そしてもうひとつ。この再現による苦しみから解放されるために、さらに必要だったのは、
「それらの感情を抱いた自分には何の責任もなく、何も悪くなかった。
子どもにそれらの感情を抱かせることとなってしまった親の配慮不足に問題があった」
ということを知ることです。
ここで大事なことは、『知る』(客観的に捉える)ことであって『責める』ことではありません。
『嫉妬』は先天的に生まれ持ったものではない
『嫉妬』の苦しみは、『嫉妬』をしてしまう“自分”や“性格”を嫌悪してしまうところにもあります。
しかし、
『嫉妬』をしてしまう“自分”や“性格”は先天的に生まれ持ったものではありません。
あくまでも後天的につくられていったものであって、大元の責任は自分にはないのです。
ですから、
『親の十分な配慮』があったら『嫉妬の種』は植えつけられることが無かった
という認識を持つこと、
『嫉妬』がもたらす様々なマイナスの影響を少なくするためにも、大元の責任をしっかりと自分から切り離してあげることが重要です。
ではその、親の配慮不足の問題についての認識を深めてみましょう。
『嫉妬』『劣等感』の種を植えつける、子どもの気持ちへの配慮不足
子どもに『嫉妬』や『劣等感』などの感情が根づく時、そこには親の、子どもの気持ちへの配慮不足が存在します。
そしてそのような家庭には、「子ども側の立場や気持ちに寄り添うことよりも、いつも親側に立った立場で物事が判断されたり、親や家(大人)の都合(事情)が優先される」という習慣が代々受け継がれていて、そうすることは「ふつう」であり、その家の「常識」になっているということの影響が大きいのです。
また、次のような関わり方や言動・態度も影響しています。
① 自分(親)の都合が優先される子づくりや子育て。
- 子どもにとって、兄弟姉妹ができるかどうかについては、完全に受身で、選択する権利は与えられていない。そのような立場の子どもが、「親に十分に愛された」、「かまってもらえた」、という実感を持たないうちに弟や妹ができると、親の愛情や注目を奪われたと他の子を憎んで(妬んで)しまう。そのような、子どもがどういう気持ちを抱くかということへの配慮に欠けた子づくりや子育てが存在する。
- 子どもを産み育てる自分(親)の苦労ばかり意識し、兄弟姉妹の存在によって満たされずに育っている子どもの、愛情に飢えた心や欲求を放置する子育てが存在する。
②「親の期待に応える子」を優遇する言動や態度があり、親の親や世間に認められるた めに、子どもの成功や成績を利用する。
③ 自分(親)が苦労して子育てしていることを醸し出して、「お姉ちゃんでしょう」「我慢しなさい」などの言葉を使って、子どもに我慢を強いることや、兄弟姉妹間に不平等な責任を負わせることによるコントロールが存在する。
④ 兄弟姉妹間で比較・競争をあおる、兄弟姉妹の誰かを優先する・優遇する(例えば、「長男だから」「○○は成績が良いから」とえこひいきする)親の言葉や態度があり、結果として『嫉妬心』や『劣等感』を植えつけさせる(親の都合のいい子になるよう仕向けられる)。
⑤ 子どもの誰かを「わがままな子、ダメな子、問題な子」というレッテルを貼った言動・態度によって見せしめにすることで、親の都合のいい子になるよう仕向けるコントロールが存在する。
未解決のまま浮遊している兄弟姉妹の関係性が及ぼす夫婦間への影響
夫婦間の不和や離婚の多くも、この兄弟姉妹の関係に起因しているものと考えられます。
例えば幼い時に、兄弟姉妹の存在によって、親に十分な愛情を求めることができなかったり、得ることができなかった欲求不満が未解決である場合、伴侶にそれを過剰に求め、独占欲で息が詰まるような束縛感を与えてしまうということはよく起こりがちです。
また、子どもの頃に、兄弟姉妹間で親による差別・えこひいき・比較・競争があり、その時に生じた『嫉妬』『劣等感』などの感情が未解決である場合、夫婦間でも同じような関係が再現されます。
伴侶が兄弟姉妹に置き換わって勝ち負けや優劣にこだわったり、主導権争いを行うことによって建設的な関係を築くことができなくなるのです。
傍から見れば、幼い兄弟姉妹というのは、ほほえましく見えるものだと思います。
しかし、幼い当人にとっては、時に壮絶で、残酷で、深刻な場面が想像以上に多いのが実際なのですが、それについてはあまり触れられません。
「子どもはこういうものだから仕方ない」、で済まされるからです。
苦しい『嫉妬』のパターンから解放されるために
子どもたちの様子から、共通して見られることが多いのは、
兄姉は兄姉で『我慢』や『愛情不足』、『弟妹への嫉妬』、『兄姉という役割を押しつけられているジレンマ』などを抱え、
弟妹は弟妹で、兄姉が溜めたうっ憤のはけ口にされたり、兄姉が先に身につけた知恵やスキルで良いようにコントロールされ、決定権や発言権などの権利や主導権はほとんど与えられない。
いつも損な役回りを押しつけられながら、「文句言うな、泣くな、良い子でいなさい」といった“コントロール”でその子の個性や主体性が奪われ、ジレンマを植えつけられている関係性です。
「兄弟姉妹の関係性の中で生まれたストレス」によって備わったものを確認する
幼い頃から、兄弟姉妹の存在のために蓄積を重ねてきたジレンマによって、独占欲や愛欲、自己顕示欲、競争心、高いプライドが備わっていませんか?
幼い頃からのその関係性の中で抱えることとなった、劣等感や無力感を払拭させるために、無意識的に、*ある嗜癖・依存によって心を安定させようとされていませんか?
*ある嗜癖・依存…「面倒を見る」「お世話をする」「お金(物)をあげる」「人の役に立つ」「人の上に立つ」「教える」という行為の中から優越感を得ようとすることで心を安定させようとする要素を含む、『共依存』や『仕事依存』、その他に『上昇志向への依存』『高学歴や社会的評価の高い職業・肩書・経歴・資格への依存(自分の子どもに託す場合もあり)』『ブランド依存』『カリスマ的人物への依存』など
または、常に人(特に伴侶やパートナー)よりも優位に立とうとしたり、物事を優位に運ぼうとしたり、常に主導権を握ろうとしたりするなど、自分をとりまく人や環境が自分に及ぼす力や状況を、自分の都合に合うようにコントロールしようとするところはありませんか?
自分の中にある『嫉妬』を『嫉妬』として受け取める
自分のせいではなかったということをしっかり認識する
兄弟姉妹を美化せず、兄姉にかなわず嫌な思いをした事実をありのまま受け止める
トラウマからの回復
「トラウマが解消する」というのは、過去の出来事の中にあったありのままの事実や感情がどういうことだったのかがはっきりわかること、
そして、
もう同じ思いはしなくていいとわかることで、納得して忘れていくことができるようになるということです。
そうなるためには、過去のつらかった・悔しかった時の気持ちや感情を、もう一度体験するように感じ直し、子どもの頃に返って、
「ひどい!ずるい! 悔しい! 怖い! 悲しい! お願い!」
という、言葉にできなかった気持ちを言葉にし、
泣いて、怒って、
「私(僕)のせいじゃなかった! 悪くなかった!」
という気持ちに確信が持てるようになる、ということです。
つまり、「トラウマからの回復」のためには、もう一度つらかった・悔しかった時の気持ちや感情を再体験するという作業を行うことが大切なのです。
さいごに
ご自身がママ(パパ)となり、すでに第2子、第3子と兄弟姉妹を産み(つくり)育てている方にとっては、少し胸が痛む部分もあったかもしれません。
しかし、ここではぜひ、「ママ(パパ)としての自分」ではなく、まずは「傷ついた、幼かった頃の自分」の立場で感じることを優先してしていただければと思います。
-書籍案内-
本書の『セラピー・メモ』の中で、「嫉妬」「劣等感」といった未解決のままの感情について触れています。 ママの中の傷ついたままの幼い頃の自分( インナーチャイルド)が救われることが子育て・家庭を豊かにします。